人の数だけ異なる旅の形がある。近くか遠くか、単独か大人数か、日帰りか長期か、吝嗇か豪遊か、などなど挙げればキリがない。

その中でも、何の手段を用いて移動するかでその内容は大きく左右される。旅をする上で最も肝心な選択だといっていいかもしれない。

自分の旅の形の変遷は、一人旅を始めた2018年からの4年間は意地でも公共交通の使用にこだわり、タクシーやレンタカーは一切使わず、列車が基本、無ければバス、それもなければレンタサイクルか自分の脚を頼った。47都道府県の制覇も沖縄を除いて全て青春18切符を用いてのものだった。以降、ここ2年ほどはドライブの旅にシフトしている。

公共交通と個別交通の双方を体験することでそれぞれの良さに気づけたので、今回自分なりに書き起こしてみる。

公共交通の旅の良さは計画する楽しさがあることだと思う。目的地を決めて終わりではなく、現実の時刻表と自分が理想とする行程とを照らし合わせながらいかに効率よく旅先を回るかを練っていく必要があるので時には何分何時間とダイヤグラムに向き合うことになる。その時間がまた楽しいし、結果として上出来な行程に仕上がった時の達成感はひとしおだ。出発の前日など、行程表を見るだけで心が躍って眠れなくなる。

それに、旅先の出会いも生まれやすい。例えば1日に数える程しか列車が来ない田舎の駅で、いまかいまかと到着を待っている人がいる。例えば偶然同じバス停で一緒に降りた人と歩く先が同じだったりする。そういう人たちと話してみることで、人の心に触れ、自分の棲む世界をより豊かに広げることができる。普通に生活していたのでは絶対に交わらない多様な人と時間を共にする旅はたしかに不器用なものではあるけれども、人間味に溢れた非日常を存分に享受できる良さがある。

他にもアクシデントが起こってからのリカバーや寝ていても目的地に着けてしまう気軽さなどもあって楽しさは際限がないが、一つ一つ語るとキリがないのでひとまずは上述の二点を公共交通の旅の特長としよう。もしバスや列車を使った旅に興味がある方は宮脇俊三あたりの旅行記を読んでみるとより楽しみが増すかもしれない。鈍行列車に揺られながら本を読むのも良い。

自ら運転して移動する旅の何よりの長所は、その自由度の高さだろう。最近私が車を足にしている理由もこの一点に集約される。

例えば早朝4時に100km先の目的地に着いていたいとする。公共交通を頼る場合、そのアクセス手段はほぼ無いか、あっても相当な不自由を伴う。都市圏であれば交通インフラが充実しているので夜行バスや夜行列車がきっとあるはずだが、田舎となるとそうはいかない。時刻表が不都合なだけならまだマシで、ほとんどの場合その場所には駅もバス停もない。その手の旅人にとっては行き先の候補にも挙がらないのである。社会が活動する時間や守備範囲から脱した旅をしたい場合は圧倒的に車が優位に立つ。

さらに、ルートの選択自由が道の数だけあるので気の赴くままの行程を組みやすい。目的地が同じでも、海岸道路を走りたい時があれば峠を駆け下りたい時もある。車はその欲求に柔軟に応えることができる。

これは蛇足かもしれないが、私の場合は時刻の枷が外れたことによって写真の表現の幅が広がった。行動範囲の伸張と、公共交通とは比較にならないほどの柔軟性に裏付けられた旅は写真にこだわるゆとりまでをも齎してくれたのである。

長所を持ち上げすぎたので短所も挙げておくと、移動も観光も全て自分の身体なので体力の使い方を工夫しなければならないこと(事故のリスク)、地の人と接触する機会が少ないことなどがある。

もしこの稿をここまで読んでくれた方がこれら二つに優劣を付けようとしたのなら不本意だ。あくまで選択の際の参考に留めてほしいと思う。