実のところ、このブログが何を書こうとしているのかは自分でさえも定かではない。
ほぼ北海道のことしか書かないので北海道のブログではあるのだろうけども、エッセイなのか随筆なのか日記なのか作文なのか、それさえも定まらないおかげで毎度何かを書こうと文章の出だしやフレーズを書いただけで放置してしまう。すぐに続きを書き始めるならよいが、それもないため、私の下書きスペースには出落ち武者かともいうべき序文の残骸が転がっている。
そんな流浪の文など消してしまったほうがよいのは分かっているものの、少なくない時間を費やして濾し出したものなのだろうからこの稿で供養することにした。本当に意味の無い文章が点在するのみである。
身の回りには”らしさ”という基準でその価値を決しているものが意外と多い。しかも不思議なのは、それを人々が(意識の有無は関係なく)受け入れていることだ。雑誌などの広報媒体で目にする機会も多い”北海道らしい〇〇”という謳い文句は、しばしば私たちの行き先を決定(限定)してしまうものになる。たとえ他に行きたい場所を決めていたとしても、その妖艶な響きは我々を謳われた場所へといざなってしまう。それは言い換えれば、漠然とした説得力を帯びた判別基準が我々の中にあって、曖昧な文句を確固たる価値として受容しているということにはならないだろうか。
若さとはなんだろうか。
その答えは分からないが、いつも「若いね」という言葉をもらうのは、自分の浅はかさが覗いた時だ。もちろん”若さ=浅はかさ”などと言うつもりはないけれど、事実そう思われても仕方がない思考や行動をしてしまうものだし、またそれを周りは若さという言葉で見過ごしてくれている気がするのだ。
これがいつか「いい歳して」に変わった時、私が精神的な物心を持った時から携えていた免罪符は永遠に取り戻せないものとなるのだろう。
記憶が鮮烈に脳裏に焼き付いている旅ほど、本腰が入ってしまってなかなか執筆が進まないものだ。いつしか記憶が曖昧になって放棄してしまう。
列車に向かって手を振る女の子だとかの、何年後かに振り返る頃には決して思い出すことはないけれども、その時確かに一瞬の感動を与えてくれた情景。それが積み重なって、大きな思い出の玉の雰囲気にほのかな味を添えてくれるのだと思う。
特に田舎などで、まるでこの土地以外を知らなさそうな腰の曲がった老婆を目にする時、そう思う
彼ら彼女らは旅先の一種の景観として私の目や心を楽しませてくれるが、ふとあちら側の立場に身を置くと考える時、私は、言葉にできない退屈さだとか、陳腐な言葉では表せない漠とした恐ろしさというか、いわば地元という鳥籠から出ない、出たくもない生き方を選択し続ける恐怖を感じずにはいられないのだ
私が物心を得て間もない頃、保育園で廊下を歩いているのを度々見かけることの多かった動体と話した時、それが立派に人格を持つ一人の人間だと分かって驚いた覚えがある。
それは、地図上の小さな島にも当てはまると思う。眺めるだけでは固有の名前を持つだけの点だったものは、立派に個性を持つ一つの大地だったのだと。
サロベツ原野の広大さに圧倒される。どこまでも広がる湿原は背の高い草と背の低い灌木とが一面に広がり、ところどころに粗末な建物が点在する。とても民家とは思えないようなものだが、農作業小屋なのかもしれない。
そして、その先の海の向こうに壮麗な利尻岳がその全容を見せている。海面から優美な裾野を広げながら標高1721mの頂上まで立ち上がるその姿は、ため息が出るほど美しい。いつかきっとあの頂上に立とうと決心したことであった。
宗谷本線
「駅舎はみすぼらしくてもいいからとにかく作ればいいのに」という愚痴が話されていたかは知らないが、今や時勢は「何故立派な木造駅舎でなければならないのか、いっそ取り払って貨車駅舎にしてしまえ」であり、はた恐ろしい
跨線橋を渡って網走駅の1番線にとまっている札幌行き特急オホーツクに乗る
かつては1番線の片隅を切り抜いて線路を引き込んだ0番線があり、網走から湧別方面へ伸びる湧網線が発着していた
0番線、という響きは淫靡なものだ
北海道に限らず、”0″に発着する列車は大抵1両ないし2両で、ダイヤは希薄、乗客も少ないというのがふつうである
私の故郷にあてがうと、鹿児島本線原田駅から分岐する原田線、田川後藤寺駅から分岐する後藤寺線などがある
どちらも哀愁をはらんだ旅情のある線路であった
是非この北海道でも、湧網線のディーゼルカーがぽつんと一両、0番線で発車を待っている情景を見てみたかったものだ
乗客を満載した旭川への特急は見送ったが、札幌行きの方は定刻近くになっても来る気配がない。「15時ちょうど発、特急ライラック26号は途中鹿と衝突した影響により現在20分ほど遅れて運行しており…」運転士も気がはやりすぎてしまったのだろう。運転再開からの事故という泣きっ面に蜂の乗客においては不憫でならないが、傍からだと興が乗ることだと思った。30分遅れてやってきた該当列車の客はみな、疲労を隠せない様子であった。
旅の終わりが近づくと、ふと頑張って組んだ予定を消化しているだけのような気がして、あといくつの楽しみが残っているかばかり気にして視界がくぐもるほどの思案に呑まれる
だからといって今目の前にある風景に向き合わねば、のちに消化不良を起こしてしまう
旅のおわりがけというのはいつも、様々な感情との葛藤だ
現時点ではこれだけだが、恐らくこの稿は私がブログを書き続ける限り更新され続けるだろう。