5/9

7時、泊めてくれた先輩の家を発つ

通勤ラッシュに揉まれながら新琴似から札幌へ

奥尻島で誕生日を過ごすべく、13時のフェリーに間に合うよう急がねばならない

レンタカー屋は8:00からだが7:50に着くと開いており、切り詰めた旅程に10分の余裕ができた

中山峠を越え、噴火湾沿いに江差を目指す

Googleマップでは札幌から4時間58分とあって、順当に行ったのでは間に合わないので相当急いだ

平日の割に道が空いていて、下道でも予想より相当早い12:20にはフェリー乗り場に着いた

しかし駐車場が分からず逡巡し、発券したのは12:40

足早に買おうとすると、受付から体験プログラムの利用予定はあるかと尋ねられる

存じ上げなかったので聞いてみると、一旦往路の乗船券を買い、奥尻島の対象宿泊施設で1泊、各業者が実施する体験プログラムをひとつ以上体験すると、復路分の運賃が無料になるとのこと

利用するかは分からなかったが、今日泊まる予定の宿は対象施設に入っていたので受け取るだけ受け取って乗船する

奥尻島に2泊だが、自分がいる期間だけ曇るので沈鬱な心地

今日から一日一便となった船には案外人が乗っており、そのほとんどは業者か地元民と見受けられ、観光者は私だけのようだった

定刻、エンジンを唸らせ、船が動き出す

右手に見える狩場山は未だ雪を頂いていた

波がないおかげで揺れも少なく、時折展望デッキに足を運んで外の空気を吸った

窓口でもらった体験プログラムに目を通して目星をつけ、磯釣りをしてみることにした

15時にもなると、夢にまで見た奥尻島が眼前にまで迫る

私のような旅人は浮き足立って、荷物をまとめないまま甲板に上がり写真を撮った

フェリー乗り場の建物の向こうに鍋釣岩が見えた

接岸、乗組員が慣れた手つきでロープを投げ、あっという間に奥尻の大地と地続きになった

何も旅程を決めていないまま宿に向かって歩き出し、30分弱で宿にチェックイン。猫がいた

漁師がやっている民宿とのことで、中身はゲストハウス風

和室の部屋に通され、一息ついて明日の宿の予約、体験プログラム、レンタカーを借りるかなどを検討

磯釣りの電話をすると急ではあるがokしてくれた

ついでにそこで泊まることにした

外に繰り出し、レンタカーをどうしようかと考えながら奥尻町を散歩する

少子化の影響か、空き家や更地が目立つ

江差では晴れだったのにこちらは曇りで、どうにも今日からレンタカーを借りる気にはなれない

翌日の7時から24時間借りることにした

気がかりは翌日の天候だった。雨なのである

奥尻は個人的に1番到達に苦労した場所で、せっかく来たのに雨で風景に触れられないのは残念極まりない

なので、当初の予定から1泊追加して3泊することにした。レンタカーは翌日電話して延長しよう

誕生日という寿事なので寿司を食べたくなり、マップを漁ると叶寿司と双葉寿司がヒットした

叶寿司は人気のようで、口コミが200近くもある

かたや双葉は隠れ家という感じで、あまり開拓はされていないようだった

双葉にした

着いたのは16:55

恐る恐る扉を開けると、ほの暗い店内で白髪をたたえた男性が椅子に腰かけてテレビを見ていた

遠慮気味にすみません、と声をかけると、朗らかに17時から、と言われたので引き下がろうとしたが、入っていいよと笑われたので入店

カメラを持っていたので旅行者と察したらしく、どこから来たのと聞かれ、福岡と答えるとまた遠いとこからきたねと笑われた

茶が2杯出され、特上握りを注文

奥尻の名産はイカらしく、確かに特別に美味かった

ちょっと小腹がすいていたのでかっぱ巻きを追加で注文

めかぶ巻きをサービスしてくれた

酒を控えているので大将も自分も口惜しかった

かっぱ巻きを食べていると、この日とれたイカの醤油漬けをくれた

さらに行者にんにくの松前漬けをくれた

初めて食べたが、奥尻の行者にんにくは臭くないらしい。実際全く臭みがなかった

大将とは色んな話をした

瀬棚航路がなくなったこと、神威脇のホテルが潰れたこと、2年後に新しいホテルができること、地震時のこと、昔は学校が沢山あったこと、方言、大将が77歳のこと

昔は瀬棚からも江差からも通年2便来ていたらしく、バスがひっきりなしに行き交っていたという

神威脇にあった島唯一のホテルは老朽化でなくなり、修繕を試みたが採算が合わず頓挫、民宿頼みになるがそれも後継者不足で廃業が相次ぐ。今日泊まる民宿は素泊まりだが、これも漁師の店主が引退したために魚を捌く人がいなくなったからだろうと

現在は小中が島に2個しかないが、昔は各部落に最低一つはあったらしい

子が生まれても殆どは内地に出てしまい、若者がいなくなる

島内人口は2200で、毎年50人が亡くなっている

地震当時はこの店ができてから2年で、みな一目散に山へ逃げたが、土砂崩れで上れなかったという

2週間店を閉めたらしい

途中大将の知り合いが入ってきて会話していたが訛りが強すぎて本当に聞き取れなかった

再訪を誓い、勘定して、徒歩圏内をぶらぶらする

フェリー乗り場の広大な敷地内で自衛隊と思しき人達が編隊の練習をしていた

鍋釣岩のライトアップを待って、写真を撮り、宿へ

北海道の空気の青さを思い出す

月も狩場山も霞んで、雨を予感させた

2階の部屋で、寄せては返す波の音に耳をすませつつ、日記を書いて、就寝

5/10

7時に目は覚めたがまだ寝ていたい

7時に街頭のチャイムが鳴る

レンタカー屋さんに10時引き取りに変更してもらうべく電話をかけると、もう車を出していたそう

本当に申し訳ないし、さらに10時に迎えに来てくれるらしい

24歳一日目にこんな体たらくでいいのだろうか

10時にチェックアウトし、レンタカー屋へ

アルトを48時間プランで借りた

丁寧にマップで観光地を説明してくれたが、雨なのでどこにも行く気になれない

オートギアというMTの派生のような車で、アクセルを踏みすぎると急に変速して引っ張られ、離しすぎるとエンジンブレーキがかかりすぎるしで癖が強い

特に坂道が難しく、軽で馬力がないからアクセルを踏み込むと、急に1速から3速に切り替わって加速するから難儀する

まず奥尻島北限にある賽の河原に行った

太田山神社に代表される道南五大霊場のうちの一つであるとともに、北海道南西沖地震での津波が到達した場所でもあり、慰霊碑が併設されていて気が重くなる

曇天の下、島を反時計回りに一周する

想像以上に大きい島だ

稲穂エリアを過ぎて島を折り返すと幅員の狭い砂利地となって山に分け入り、峠を抜けると標高は既に高く、木々の間からくすんだ日本海が眼下に広がる

進むと標高が下がり、島唯一の温泉がある神威脇地区に出て、奇岩が連なる西海岸を進む

奥尻ブルーもこの天気では何も望めなく、今のところいい意味でも悪い意味でも印象が薄い

東海岸、青苗-奥尻エリアの海岸線で幅員の狭まる箇所では山に続く新道が建設中

昼はセイコーマートでパンとホットシェフの豚丼とポテトチップスを買った

鍋釣岩の辺で喫食

宿のチェックインまでは時間があるので再び山を越えて神威脇地区のワイナリーへ

ワイナリーは先の廃ホテルの手前で右折した先にあるこぢんまりした二階建て

駐車場に車が2台と、そばに倉庫があり、トラックが1台停まっている

ワインは買わず、ワインアイスと奥尻の水を購入

ワインアイスは赤ワインベースで、口に入れると渋みのある良い香りが漂った

水の違いは分からないが、口当たりは優しい気がした

出て、先の廃ホテルに立ち寄って駐車場に停めると、神威脇地区が見下ろせた

昨日双葉で話したホテルはここだった

帰り道は霧がたちこめていた

道すがらの復興の森に立ち寄ってみると森と霧の雰囲気が幻想的で、雨の中写真を撮った

新緑に芽吹いた葉を雫が叩いていた

稲穂を回って相棒のロケ地にもなった本日の宿へ

雨の中体験をし、スタンプを押してもらって帰りの船賃がタダになった

1階に浴槽があり、私の部屋は2階にある

部屋ごとに奥尻の観光地名が割り当てられており、私のはよりによって賽の河原だった

セコマで夜ご飯を買い、部屋に戻って食べ、今日もまた潮騒に耳をすませながら就寝する

何かの大会が催されるとの街頭放送

昨日も今日もストーブは必須

21時に街のチャイムが鳴る

明日は晴れるだろうか

5/11

10時起床、チェックアウト

部屋にあったノートに感謝を綴った

天気は小康状態といったところで、まだ晴れる兆しはない

津波館へ

駐車場で日記を書いていると、街頭放送が鳴って消防訓練大会中止が告げられた

昨夜言っていたのはこれだったのか

時空翔を見る

津波館は青苗にあり660円で、案内人がついてくれた

最初見せられた新旧比較写真では、この小さな地区の地形が変わっていることが分かった

震災当時江差の写真屋が撮った写真はとても克明

青苗に立っている記念碑は津波でも動かなかった

その洋々美徳という言葉が奥尻地区にあった洋々荘の由来ということを推して知る

つまり昔にあったホテルは神威脇のひとつと奥尻の洋々荘で、それは観光で賑わうだろうと思う

洋々荘は地震による山崩れに完全に飲まれ、宿泊していた観光客が多数亡くなった

現在そこにはENEOSがあり、その裏手の山肌は木々が繁茂しているものの確かに剥がれていたというかくぼんでいた気がする

小耳に挟んでいた程度の地震だったが、改めて学ぶと理解がとても深まった

先程見た時空翔にしても、土台の高さは津波の高さ、津波が迫ってきた方を向いており、地震のあった7/12にモニュメントの溝にちょうど太陽が重なる由

パンフレットに記念のスタンプを押し、外に出ると未だ曇り

正確には東海岸には青空が見えるのに西海岸は時化でくすんでいるので、たぶん曇りなのではなく海霧が覆って”ガスって”いるのだと思う

つんと香る磯の香り

かつてここに立ち並んでいた家が、一瞬にして飲まれてしまったのだと思うと淋しい

晴れてくれと願いながら記念碑を一瞥し、行くあてもなく米岡へ

とても時化っており、波のしぶきがミストになって海岸線を漂っている

パンを頬張りながら進み、奥尻空港に立ち寄ってみる

ちょうどJALのプロペラ機が離陸する様子が撮れた

沿岸道に戻り、時折車から降りて写真を撮っていると、昔の道路の痕跡らしきものに気づく

恐らく津波前のものだろう

ところどころえぐれている山肌は地層が露出していて、柱状節理のものもあることから火山があったのだと推察できる

たぬきによく出くわすが、こちらのたぬきは臆病なのか車を見るなりすぐ逃げてしまって写真に収まらない

14時に北追岬に着き、晴れるのをじっと待った

予報では16時に晴れるとある

波涛の破裂音を聞きながらずっと待っていると、灰色の雲が割れて本当に青空が出てきた

水平線の方はまだ雲が多いが陸には日が差して、新緑の木々を照らした

モニュメントのある場所から奥尻島最西端の標柱がある方に移動して、崩落著しい岬の先端に立ち、青空のもと荒れる日本海を見おろして感慨に耽る

待ち望んだ勇壮な眺めを記憶に刻んだ

そのまま北の球島山展望台へ車を30分走らせ、途中幌内温泉跡地に立ち寄る

なくなった経緯は知らないが、現在は汲み上げに使っていたポンプと錆び付いた案内標識があるのみ

ポンプは硫黄の成分にびっしり覆われ塞がっていると思ったが、いまだ吹き出ていた

触ってみると適温、入ってみたかった

硫黄の膜にはゾウリムシのような虫が這っていた

球島山展望台に上るがこちらは依然霧が深く、1時間待っても辛うじて鍋釣岩が見える程度に留まり奥尻の全景とはならなかった

明日の日の出は5時前なので返却時刻までの間に再訪しようと決めた

島唯一の高校を横目に再び宮津地区に出、昼の鍋釣岩を写真に収める

セコマで豚肉弁当とドーナツを買い、駐車場で喫食

山の細道を抜けて再び神威脇へ向かい、温泉に入る

温泉の入口からお邪魔すると、地元民と思しき3人2組とちょうど入れ替わって貸切風呂に

受付で420円の入浴料、250円のタオル、100円のシャンプーとボディソープを買う

カメラのバッテリーを充電したいと遠慮がちに言うと、もちろんと言わんばかりにテレビ横のプラグを使わせてくれた

出る時には、充電は足りたかい?と聞いてくれた

温泉の成分

浴槽

洗面具やシャワーは機器更新されていて不便はない

湯に入ろうとすると暑すぎて入れない

慌てて冷水の蛇口をひねり、必死にかき混ぜる

知内温泉と同じ体験だった

施設の老朽化が進んでいるのか、休憩室は使用禁止、2階の展望風呂はガラスがくすんでいて、1回の天井は雨漏りするのか床にはタオルと洗面器が点在している

日が傾きだす6時前には上がり、神威脇をあとにして無縁島を見に行く

パンフレットにもある光景を見に、車を走らせる

奥尻の夕日のなんと美しいことか

岸壁を打った波涛も、寄せる白波もみなピンク色に染まっている

一日目の憂鬱な青い夕暮れとは違う

適当な場所まで車を走らせ、Uターンして路肩に車を停める

柵を乗り越えて砂浜に立ち、迫ってくる波と対峙しながら無縁島に沈みゆく夕日を無心で撮った

久しくカメラを握っていなかったのでこの感覚の心地良さにしばらく耽った

日が沈みきらないうちに北追岬へ行こうと決心

車を出そうとした瞬間、停めていた砂利の広場の奥に錆び付いた構造物が見えた

多分、硫黄鉱山の操業所だったのだろうと思う

資料館で見た知識の断片でしかないが

車を飛ばし、たぬきを二度轢きそうになりながらモニュメントのある広場へ

岬は多分間に合わないと思ってやめた

日が沈んでいく

赤く染まっていた山肌が暗く沈み、空は青のグラデーション

見終わって薄暮の中青苗を回り、奥尻港で車中泊

満月で月明かりが眩しい

結局3日間星空は見えなかった

明日の朝日は拝めるだろうか

5/12

4時起床、空はまだほの暗いが、日の昇る方はかすかに色づいていた

鍋釣岩まで車で3分

駐車帯に停め、朝日を待つ

4:22のはずだが一向にのぼる気配がない

なるほど瀬棚の山々からのぼるのでその分だけ遅れるのだ

結局4時半すぎにのぼった

鍋釣岩を前景にとても映えた

レンタカーは6時半までに返すので、休む間もなく移動

途中すぐの漁港に立ち寄って、朝日に照らされるイカ釣り漁船のランプを撮る

そのまま昨日景色を拝めなかった球島山へ

途中さらに寄り道して宮津エリアの弁天宮へ

朝日をバックにシルエットになっていた

幸い霧はたちこめておらず、東の鍋釣岩から西の海岸線までパノラマで見渡せた

それもつかの間、陸と海の寒暖差によってなだれ込んできたガスにたちまち覆われて昨日みたくなってしまった

危なかった

時刻はまだ5時半

行きたいところには全部行けたので、鍋釣岩まで戻ってドーナツを食べる

奇怪な岩はこれまで何度となく見てきたが、なぜだか鍋釣岩は離れるのが惜しいというか、恐らく形状の云々ではなく奥尻という島への到達難易度、骨折で一度挫折した上での訪問、そして滞在中何度も目にしたことなどなどが重なってこの惜別の感情を抱いたと思う

離島は海を越えなければならないので到達難易度がとても高いが、奥尻へまた来る機会はあるだろうか

再訪したい

もう一度目に焼き付けて、レンタカー屋へ引き返す

ガソリンスタンドが開いていないので距離換算でガソリン代を支払う

40時間で、なんと334kmも移動していた

島一周する道路が経過70km足らずなのにそんなに移動していたとは思わなかった

ガソリン代は2000円ちょっとにまけてくれた

フェリーターミナルまで送迎してもらう

受付にキャンペーンのパンフを渡すと、本当に運賃がタダになった

白地図の福岡に赤いシールを貼る

九州から来たのは自分だけのようだった

少し時間があったので2階の土産屋に立ち寄り、奥尻の水を買って船に乗り込む

客のほとんどはやはり地元民

甲板に上がって、忙しく動く船員を見ながら記憶に耽る

出航が近づくとさらに忙しくロープを巻き上げたり下ろしたりしている

7:00出航、離岸

汽笛が惜別の感情を押し上げる

みるみるうちに陸地が離れ、鍋釣岩が離れ、人も木々も小さくなっていく

来た時には何の思い入れもなかった土地も、離れる時にはあの場所はよく波のしぶきが上がっていたとこだとかあの色の家は泊まったところだとか色々出てくるようになる

しばらくデッキに佇んだ

船内に戻ると案外船揺れがすごく、みな寝ていた

船酔いしそうだったので再び甲板に出て遠くを眺める

船は上下左右に揺られながら進む

波と船との間は鋸のような対流

浪高は後で知ったところでは1.5mで、これで酔うようでは漁師などとてもなれないなと自嘲する

9:10江差港に入る

面舵いっぱい、汽笛2回

影がフェリーターミナルへ動いて左舷接岸

いい旅だった

イクシュンシリ(向こうの島)に、また行こうと思う