昨年の時点で奥尻島と利尻島以外の市町村は全て踏破しており、奥尻島にも今年の誕生日に行ったことでいよいよ利尻島の利尻町、利尻富士町を残すのみとなっていた。

4年前、2021年の春先に南稚内駅から今はなき抜海駅まで歩いた時、右手の海の彼方に聳える秀峰の眺めに圧倒されたことがある。

海の向こうに見える壮麗な山は利尻岳というらしい。海面から優美な裾野を広げながら標高1721mの頂上まで立ち上がったその姿は、ため息が出るほど美しい―私が179市町村の踏破を志した時、最後に訪れる場所は必ず利尻島にすると決めていた。以後訪問の機会があっても、私は敢えてそれを捨てて初志に徹することに拘った。ついに訪れる時候と機会がやってきたのである。

札幌を5時に発ち、11時台のフェリーに間に合わせるべくオロロンラインを北上する。1泊2日の予定で、渡った日のうちに島内を一周し、翌日にグルメなども含めて満喫しようと思案していた。

初めて見た時には驚きの連続であった石狩の難読地名群も、”羽幌”という土地に焦がれていたあの気持ちも、今はもはや希釈されて感動に堪えなくなってしまった。私の新鮮な興味の矛先は利尻島以外にないのである。途中の増毛で国稀酒造に立ち寄り飲用の湧水を確保。とても柔らかく、甘みすら感じられるほどの軟水だ。

留萌を過ぎて、小平町鬼鹿地区のすみれで昼食。開店10分前なのに名簿には既に30人ほど書かれてあって逡巡する。11時になると店員が暖簾を出し、記入順に名前を読み上げる。案の定私などは漏れたので諦めて帰ろうかとしたところ、なんと軒先に海鮮丼のテイクアウトコーナーが新しくできていた。開店直後だから良いが、鮮度は大丈夫なのだろうかと少し心配になりつつ購入し、車内で食べる。

食事を終えてそのまま北上していくとやがて天売島、次いで焼尻島が見えてきて、旧炭鉱都市の羽幌に入る。サンセットプラザには相変わらず車が多く停ってあり、本社へ向かう沿岸バスも出てきた。不意に焼尻天売へ渡った時のことを思い出す。焼尻のサフォーク羊、天売の漁師宿のウニなどは絶品だった。もう2年も前のことである。

ところで、当初の旅程は朝の時点で既に崩壊していた。根室本線の線路が破壊されるほどの大雨の影響で、この日の利尻・礼文行きのフェリーは全て欠航となっていたのである。そんな事情であるから、途中からは車を飛ばすでもなくゆったりと進んで行った。来年からいよいよ撤去されるというオトンルイの風車群の傍らで休息し、道北の寂しい風景の中をひたすら進む。オロロンラインのハイライトはふたつある。ひとつは厚田から雄冬まで続く海岸線、ふたつは天塩以北のサロベツ原野。前者は北へ向かうという好奇心を、後者は北の寂しさを感じさせる。左手の利尻富士は完全に雲に覆い隠されていた。稚内市街に着いたのが13:30。

稚内牛乳を飲みながら今日の予定を考える。明日の利尻行き始発便に間に合う範囲かつ日の出を拝める場所を選定し、宗谷岬で一泊することにした。曇天の稚内に留まっても特にやることなどないため猿払のエサヌカ線へ。ちょうど日没の時間に着き、ちょうど雨も上がっておりいい空模様であった。そのまま浜頓別を経由して中頓別へ至り、知駒峠を越えて豊富温泉に立ち寄る。本当は中頓別のピンネシリ温泉がよかったが生憎改装中で休業してある。

豊富温泉19:30着。約500kmの長距離運転に加え、日が暮れてからは常に鹿の飛び出しに警戒して気を張っていたのもあって相当疲れた。その分油分を含んだ熱めの湯が体にしみる。夕食もここでとり、豚丼にした。

宗谷岬には22時前に着いた。記憶が正しければ12回目の訪問になるが、夜に来たのは初めてである。灯台に光があるのも初めて見た。国稀酒造で買った梅酒で乾杯をして眠りにつく。

日の出の30分前に起きると既に空は明るい。外へ出るなり9月らしい冷たい風が顔を掠めていく。

夜の宗谷岬が初めてだったように、日の出もまた初めてだった。その初心に応えるかのような、澄んだ空が一面焼けた見事な日の出となった。

そのまま宗谷丘陵経由で稚内港へ。低気圧通過の後らしく道中何度も虹がかかっているのを見た。特に白い道でみたものは最上であった。

無事稚内港に着き、ハートランドフェリーの利尻島行きのチケットを買う。近くのセイコーマートに朝食を買いに行くとちょうど踏切が鳴って札幌行きの特急宗谷が過ぎ去っていった。4両の車内とも、見る限り一人の客さえいない。

昨日足止めを食らった客も合わさって船内は人の山である。私の購入した2等客室は自由席扱いのカーペットエリアで、壁側になんとかスペースを確保して座る。地図を眺めるなどしていると定刻になり、俄に船が動き出した。稚内市街を海から見渡すのは2022年以来だろうか。

ノシャップ岬を回り、驟雨に降られて久しい日本海(利尻水道)に出るとやや波が高く、船酔いしそうだったのでデッキにあがってみる。飛沫を浴びながら前方を見遣ると、夢にまで見たあの秀峰が眼前に大きく迫っていた。これで本当に踏破なのだと着く前から感動を携える。いつかの稿でも書いたが、この北海道の全市町村踏破はただ塗り絵のごとくこなすことによって実現することはないようにしていた。ただ通過し、あるいは一度少しく立ち寄ったとして、その街の何が分かるだろうか。それを179回繰り返して踏破と言い張ったところで虚しいだけだ。同じ踏破なら徹底的にやりたかった。そんな趣向で3余年という月日をかけてしまったものの、甲斐あって各市町村へのほんの最低限の認知程度は持ち合わせたと胸を張って言える所存である。

とはいえ制覇となると、これは永遠に叶わないものであるといっていい。私が旅人である限り、訪れる先の全てを完璧に知り尽くすことはできないからだ。踏破(完遂)はできるが制覇(完全な理解)はできない。しかし旅を好むものとしては訪れる先のことはどこまでも知りたい。その気になればあらゆる分野に手をかけて、果てなく膨張し続けうるというのが私の旅の性質であった。

そんな無限の慾心をはらんだ私の旅路に一旦の区切りをつける終着として、この利尻島は適任だった。全てを注いだ北海道生活の3余年の集積を、その端緒を開いたこの地で成就させ、踏破という成果によって欲を抑える。裏を返せば、利尻島に訪れた時点で旅を中心に回っていた従来の生活は終わりということだ。

2時間半の航海であった。礼文島に行った時は着岸時に『島を愛する』が船内放送で流れていたが、今回は特に唄の類はなかった。汽笛2回。白い図体が黒煙を上げながら旋回し、ゆっくりとその側面と岸壁との距離を縮めていく。折を見て屈強な船員が岸壁めがけて勢いよくロープを投げ、待機していた係が拾って手早くボラードに括り付ける。余ったたるみを船側で巻き取ると、ついに側面が利尻の地と接した。

どの時点を”踏破”と言えばよいのだろうか。スロープ伝いに利尻島とフェリーが事実上の陸続きになった瞬間だろうか。やけに大きなフェリーターミナルから外に踏み出したタイミングだろうか。私は趣向のとおり、この利尻島を五感で感じてからとしたい。2025/9/22、北方領土を除く179市町村踏破である。