私は現在、バセドウ病と潰瘍性大腸炎という不治の病と付き合いながら生活している。今回は、より私を苦しめ続けている潰瘍性大腸炎について、症状の自覚から発見、治療に至るまでの実体験を綴りたいと思う。

症状の自覚、病名の診断まで

生まれついてお腹が弱かった私は冷えや緊張などに敏感で、気温が低下する冬場やスポーツ大会の前などには決まってお腹を下していた。今思い返せば過敏性腸症候群というストレス性の腹痛であったとは思うが、とにかく私にとって腹痛とは元より生活に横たわっているもので、それに苛まれること自体を不快に思いこそすれ、そういうものなのだと受け入れて生活していた。

小学校を卒業し、中学校に上がった私は運動部に入った。中学生といえば食欲旺盛な時期にあたり、私も例に漏れず朝昼晩と中学生らしい量の食事をかきこんでいた。また、厳しい部活とだけあって競技に対してのプレッシャーもかなりあったと思う。そのせいか、私は中学2年生の頃から過食気味になった。バター入りのロールパンを1日12個(2袋)、塩分チャージを1日1袋、キャラメルコーンやクリーム入りのビスケットを多量に摂取するなど、所謂不健康な食品を過剰に摂取していたのである。そうしたある日、土曜の部活終わりに同級生と自宅で遊んでいた折、突如ナイフで腹部を刺されたような耐え難い激痛に襲われた。またこれかと思いつつも慌ててトイレに駆け込み、腹を温めるようにうずくまる。腹痛がやわらいだので流そうとすると、なんと便器が真っ赤に染まっている。目を疑った。トイレ用水も、トイレットペーパーも、飛び散った鮮血で真っ赤なのだ。只事ではないと思い、親に相談のうえ翌日地方の病院を受診することに決めた。その日は何度も激しい腹痛に襲われ、血便が止むことがなかった。

何事もなくあってほしいという一縷の望みをかけて問診票には”元々腹痛持ちだった”と記載したが、医師いわく「腸に異常が起こっていることにほぼ疑いの余地がないため、まずはカメラを入れて現状を把握する必要がある」とのことで、無情にも人生初の内視鏡検査が行われた。不慣れだったか知らないが何度もカメラが腸壁に当たり、卒倒しそうなほどの激痛に30分もさらされた。そうした苦行を終えてやっと出された暫定の診断は『潰瘍性大腸炎』。カメラに映し出された腸内は真っ赤に腫れ上がって、粘膜がただれ、至る所から出血している。あくまで暫定的な診断であって、カメラの及ばない大腸の奥の方や小腸の状態は依然不明(小腸まで炎症が及ぶとクローン病という別の病名になる)だったため、大きな病院を紹介され受診。紹介先での再度の内視鏡検査で潰瘍性大腸炎であることが確定した。2015年、14歳の夏。ここから現在に至るまでの長い闘病生活が始まった。

潰瘍性大腸炎という病気について

潰瘍性大腸炎とは、何らかの原因で大腸の粘膜に炎症が起こり、血便を伴う下痢や腹痛などの症状が現れる自己免疫疾患だ。発症のメカニズムは不明で、遺伝や環境因子(食事、ストレス、腸内細菌の乱れなど)が複合的に作用し、本来は体の防御反応である免疫が自らの腸を攻撃することで起きるとされているが、いまだはっきりしていない。そのため根治治療が確立されておらず、完治に至らないことから国から難病の指定を受けている。

特徴として、炎症が現れる”活動期(再燃)”と炎症がやわらぐ”寛解期”を繰り返すというのがある。再燃を繰り返すほど大腸癌のリスクが高まるとされており、発症から7~8年以上経過すると危ないようだ。完治しないといってもずっと病状が続くわけではなく、適切な治療を続ければ半永久的に炎症を抑えこむことは可能である。よって治療方針は寛解の維持あるいは再燃の頻度抑制であり、主に薬物療法、血球成分除去療法、外科手術が用いられる。

治療の経過

ペンタサ《2015~2017》

さっそく次の日から治療を受けることになった。14歳という若さであったので薬の種類も服用の量も規制され、ペンタサ(メサラジン)という薬を毎日昼に2錠服用するようになる。

飲んでみるとみるみる腹痛や下痢、血便といった症状がひいていき、人生で初めて腹痛のない生活を手に入れた。ここで素直に飲み続けておけばいいものを、反抗期の私はもう大丈夫とばかりに服用を怠り、当然すぐに再燃した。こうなると再び薬を飲んでも耐性ができあがっているため効果が薄くなり、年齢による服用量の制限もあって状況が悪化することとなる。完全に自業自得としかいえない。私はこの時の過ちによって以後不必要に長く苦しんだと思っている。前述のように、この病は完治はしないが適切な治療を施せばある程度病状を抑えることができるので、薬は少ないうちに飲んでおくべきだ。潰瘍性大腸炎の再燃にともない、この薬と併用する形で追加されたのがプレドニンである。

プレドニン《2015~2019》

こちらは体内の過剰な免疫反応を抑制するステロイド薬である。潰瘍性大腸炎という病気そのものにコミットするペンタサと違い、こちらは体の機能そのものに干渉することで症状を抑える対症療法となる。

強力な薬だった。最初に飲んだ量は1錠5mgで、ペンタサの100分の1の重さにも拘わらず寛解を超えて日常にまで効果が波及したのだ。腹痛がただちに治まり、多幸感と覚醒効果で初日は全く寝付けず夜通しゲームをし、食欲増進効果で大量の食事を摂取した。運動能力、思考能力が飛躍的に向上して陸上大会の3,000mで自己記録を大幅に更新、模試の偏差値も上昇するなど、子供ながらに自分が自分でなくなるような体験をしたのだった。その分副作用も激しく、顔がパンパンにむくみ、ニキビが次々にでき、背中には大量の蕁麻疹が現れた。また、免疫を抑制する薬ゆえに風邪などの感染症にかかりやすくなってしまう。腎臓への負担も大きく、長期で服用すると腎機能低下による糖尿病などのリスクがあるとも処方時に伝えられた。独断で服用をやめることがないようにとも厳命された。

この薬は再燃時の頓服薬のようなイメージに近く、症状が治まったら徐々に量を減らしていき、寛解を維持しつつ服用を脱する運用が一般的である。そのためプレドニンとペンタサの併用となった。

以後、私はこの強力な薬に高校卒業までの4年間頼り続けることになってしまう。

入院《2016》

中学3年になると、部活の集大成であるこの大会から県大会に進むべく、私は部活にいっそう励んでいた。何度かプレドニンの再服用期間はあったものの、その頃は服用から脱しており、自分の力だけで着実にタイムを更新しつつあった。食生活についても発症以来見直しており、医師との相談のうえで摂取するものには特に気をつけていたつもりだった。

それでもやはり複合的な要因で発症するのか、中総体目前の6月頃から急激に体調が悪化、炎症が酷く入院することになった。人生初の入院である。初めは検査入院という名目で3日程度とされていたが、結局2週間に及ぶ絶食入院となりここまで鍛えてきた体はあえなく衰弱してしまった。体重は56kg→38kgに激減してやせ細り、鎖骨の横などに見えてはいけない骨まで見えるようになる。あまりの変貌ぶりに、入院から戻った私を見て母は泣いた。登校した私を見た同級生の顔は冗談めかして笑いながらも引きつっていた。顧問からは中総体に出るのはよせと言われた。尻の骨が尾骶骨もろともせり出していて学校の木張りの椅子に座るのが辛い。胃が小さくなっていて、食事が喉を通らない。一番堪えたのはやはり部活だ。気持ちではやれる気でいるのに、体がついてこない。2週間で人は骨と皮だけになれるのである。

透析治療(白血球除去療法)《2016》

入院の終盤で病院食が許されると共に、プレドニン以外の治療法を模索すべく担当医師から透析治療の打診があった。ステロイドが効きにくい中等症以上の患者や再燃・再発を繰り返す難治例に対して行われ、炎症の原因となる活性化された白血球を血液から物理的に取り除くというものである。別名GCAP療法。方法としては、両腕の血管に注射針を刺し、一方の管から血液を抜き取って特殊なフィルターを通過させ、浄化された血液をもう一方から戻す。それを約1~2時間にわたって行う。療法自体の副作用は非常に少ないと言われているものの、血液を取り替える以上初回は特に身体的負担が伴うとのことで医師も慎重な姿勢であり、別に内服薬を増やすという選択肢も提示されたが、そちらは不妊になりうるとのことで却下して透析治療を選択した。一言で透析といっても想像しにくいと思うので、自身の体験を付す。

GCAPは透析室で行う。ベッドがズラリと並び、物々しい機械がいくつも稼働してそれぞれ洗濯機の攪拌時のような音を立てている。看護師に促されてベッドに移り、本人確認と問診ののちに両腕の肘窩(内肘)の血管に直径5mmはあろうかという太い針が刺し込まれる。体は半透明の管を通じて巨大な機械と一体化し、看護師が電源を入れると同時に右腕から機械の方へ血液が吸われていく。重厚な音を立てる機械を眺めていると、漉されて綺麗になった血液が左腕に戻されてきた。看護師はここから1時間半暇でしょうからテレビでも見ていてくださいと電源を付けてリモコンを差し出してくるが、関節部に長い針を刺されているのに肘を曲げるのは怖かったのでずっとそのチャンネルを見ていた。公営団地ができた歴史的経緯とか地域の特産品の紹介をやっていて、今日にでもそこへ行ってみたいとふと思う。機械に生かされているような心地がして、ベッドに横たわる自分が情けなく思えてくる。透析中にどこかが痛む等のことはなく治療が終わり、注射針が抜かれた。一瞬見えた肌にはぽっかりと穴が空いている。次回は来週なので外来受付からお越しくださいと言われて、これで終わりじゃないのかと暗澹たる気持ちになった。この療法は一度の再燃につき10~11回行うことができ、回数を重ねるほど白血球除去の精度は高くなるらしい。結局私は今回の再燃で約8回にわたる透析をした。正直なところ、めざましいほどの効果は実感できなかったのが本音だ。

この病気における治療で最も辛かったのは白血球除去療法である。精神的な負担はもちろんのこと、私にあっては身体的負担がとても大きかった。巷でのこの治療の評価は副作用の少なさゆえ高いようだが、上述の初治療後に自室に戻った際の私の状態はとても酷かった。急な血行改善によって頭に上る血液が増加し、激しい頭痛に見舞われたのだ。私のように血液がドロドロな方は要注意である。この時は寝ても座っても立っても激痛で、呆然と入院病棟を彷徨っていたところを看護師に拾われ、頭痛薬を処方されやっと収まった。また、いくら若い肌だといっても2ヶ月で8回も針を刺せばボロボロになるし、まして再燃するたびに透析していてはたまらない。結局私はこの回以後透析を選択することはなかった。副作用の少なさだけで決めるのではなく、身体的負担も考慮して治療法を選択することも大事だと思う。

プレドニン依存と繰り返す入院《2017~2019》

寛解と再燃を繰り返す中で、腹痛がトラウマになっていた。食事をしたいのにご飯が食べられず、口に入れてもすぐに(食べる怖さのストレスで)お腹が痛くなってトイレに駆け込む。顔はやつれて頬骨が浮き、常に蒼白いと心配され、貧血や脱水で運動どころか少し話すだけでも息が上がる状態。そんな病状であるから、寛解期であってもひとたび腹痛が出るとそれに対するストレスが悪い方向で作用し、負のスパイラルに陥って余計に再燃が早まる。その度に点滴入院とプレドニンに頼り、一時的に抑えられはするものの薬物耐性によってもはや初回のような劇的な効果は得られず、服用から脱するとまたすぐにストレスから再燃…という流れを一時繰り返した。

リアルダ《2017~現在まで》

高校生に上がると、ペンタサに変わる内服薬としてリアルダが処方された。有効成分は同じメサラジンであるが、ペンタサが大腸以外の部位にも成分を放出するのに対し、リアルダは大腸のみに放出するという特性がある。私の炎症部位は大腸に限られているためこちらが採用されたのだ。ペンタサより一回り大きいため最初は嚥下するのに苦労した。2025年現在もこの薬の服用は続いており、現状は毎朝4錠服用している。飲み忘れた時は明らかに腸の調子が悪くなるので確実にこの薬は効いているものと思われる。

ステラーラ《2020~現在まで》

高校卒業に差し掛かると受験へのストレスも相まって服用中から再燃の兆候がみられ、もはやステロイドでも症状が抑えきれない段階になっているとして、新たな薬を模索することになった。プレドニンの量自体を増やせば一応の対応はできるものの、高頻度かつ長期にわたる服用を続けると将来的に糖尿病や腎臓病等のリスクが懸念されるため5年続いたステロイド療法に終止符が打たれることになった。

それに替わる新薬として提示されたのがステラーラである。当時最も新しかった薬で、試験的な意味合いもあり選択した。アレルギー反応の有無を確かめるため初回のみ点滴で投薬し、以後は8~12週間隔で計2本上腕に皮下注射する。副作用としてはプレドニンと同じく免疫の低下が起こるため、風邪やインフルエンザなどの罹患は絶対に避けなければならないと言われた。幸いアレルギー反応は出ず、これ以降現在に至るまでステラーラによる治療が継続している。

寛解期の継続

長くなったが、以上が治療の経過である。リアルダとステラーラの併用を始めてからの5年間は特に再燃せず、寛解の状態を維持できている。

先に述べた通りこの病気は大腸癌を誘発するリスクが指摘されており、早期発見と治療のため定期的な内視鏡検査が推奨されているため寛解が持続している今でも最低2年に1度の検査は避けられないでいる。この内視鏡についても触れておきたい。

内視鏡とはその名の通りカメラで直接大腸を見る検査だ。下剤(腸管洗浄液)を大量に内服し、大腸の中身を空にしたところで肛門からカメラを入れ、大腸の頭から先までくまなく観察して病変がないか確認するというものである。検査も検査だが、それ以上に厄介なのが事前に大腸を空にする作業だ。1~2Lの下剤をテンポよく、便意(人によっては嘔吐感)と戦いながら飲み干さなければならない。最も問題なのは、その下剤の味がとてつもなく不味いこと。初めての内服ではあまりの不味さに嘔吐しそうになりながら半泣きで飲んだ(結局飲み干せなかった)。

潰瘍性大腸炎に罹った方は、すべからくこの工程をなぞるので苦労することになるだろう。このきつさはやった者でないと分からない。少しでも苦痛を和らげるために、検査3日前から残渣が残らない消化のいいものを食べるのがいい。モビプレップは冷やして飲むといいなどと言われるが私にとっては甚だ不味いことに変わりなかったので気休め程度だと思う。

そこで私は錠剤の下剤をおすすめする。ペンタサ以上リアルダ以下の大きさの錠剤を一気に5錠も飲み込むので嚥下力がいるが、異常に不味い液体よりはるかにましだ。完飲まで比較的容易にたどり着けるので、ここ5年はずっとこの下剤を使っている。モビプレップは本当にきついためおすすめしない。

とはいえこの苦しい内服はまだ前座で、ここから半脱水と疲労の中カメラで腸をこじ開けながらの内視鏡に進む。検査は20分ほどで、大腸の奥まで様子を確認しながら進んだのちに粘膜を採取しながら抜いていくのが大まかな流れとなる。

こちらは静脈注射の鎮静剤(麻酔)を打つことでより快適に検査を受けることができる。ただ、その代償として当日は運転できなくなるため注意が必要だ。

この流れを最低2年に1度である。根本的治療法の確立が待たれるばかりである。

余談

入院中の生活

完全絶飲絶食。ただし点滴は絶え間なく打つので食欲は不思議と湧かない。相部屋は運が悪いと周りのいびきやナースコールがうるさくてストレスが溜まる。入浴を控えるように言われたため毎日体拭きのシートを使用していた。

ひたすら本を読んでいた(本を読むぐらいしかやることがなかった)。勉強に目覚めるなら入院中がチャンスだと思う。

現在の生活で気をつけていること

とにかくストレスを溜めないこと。一概にそう言っては難しいが、どれだけ食事や生活リズムを整えてもストレスが大きくなれば必ず再燃するので最優先で排除したい。

菓子パンと塩分(塩分チャージなどの直接的なもの)を遠ざけると腹の調子が悪くならない気がする。

生活に与えた影響について

運動ができなくなったため、必然的に勉強に関心が向いた。

胃は小さくなり、少食になった。食べること自体がストレスの最たるものである腹痛に直結しかねない行為なのだと無意識に刷り込まれてしまい、食事の量が極端に減った。今では1日2食が日常である。

まとめ

原因が分かっていないこの病気はいつ誰が罹ってもおかしくない。一度かかったら二度と完治しないというタチの悪い病気でもある。

ご覧になったとおりとにかく難しい病気なので、違和感を覚えたら早めに受診すること、薬はきちんと飲むこと、ストレスを溜め込まないことはまず最優先にするべきだと思う。悪化した時の辛さは尋常ではないので、どうか早めの受診を検討してほしい。

この拙文が誰かの病院にかかるきっかけ、あるいは日常生活を見つめ直すきっかけになれば幸いである。