我々が絶対的基準として据えている尺度は、時代や民族を隔てていとも容易く崩れ得る。

北海道を旅していると、その一端を垣間見ることができる。

疑問に思ったことはないだろうか。パンケ(下流)、ペンケ(上流)+地名はあっても、(東西南北)+地名は見たことがない。調べてみると、本当に東西南北にあたる単語が出てこない。これは、現代社会で普遍的なものとして共有される”東西南北”という絶対の座標軸がアイヌ社会では通用しないことを示唆していた。

どうにも、地域ごとに基準とする川の流れに向かって下流が南(に類する認識)、上流が北(同)、と逐次設定されるという。なのでアイヌにとって方角は相対的なもの、つまり、例えば天塩川を基準にした地域であれば、その流域のどこに住んでいるかで”北”にあたるものが変わるということだ。美深町あたりに住んでいれば南が”北”だが、川が折り返す(ホロカ)ところの音威子府村や天塩町では、東が”北”になる。同様に、太平洋に注ぐ十勝川流域では北西が”北”となる調子である。アイヌにとっての河川及びその流域が、生活で必要な資源を得るための主要な領域であったことは長きに渡る研究で明らかになっているので、生活に密接に関わる”川”を基準に方位を規定するのはなんら不思議ではない。

この際あえてなぜ川なのかを考えてみる時、「密林では時間・方向感覚が失われる」という仮説を思い出す。そもそも東西南北とは北極星(、太陽、月)を基準にした天文的概念であり、当然空を見上げなければ分からない。ここで、昔の北海道の大地に立ってみると、空は見えないはずなのである。想像できないかもしれないが、今石狩平野や十勝平野と呼ばれている、木もまばらにしか生えていないような平野などは、かつて(開拓の鍬がおろされるまで)空も見えなくなるほどの原生林に覆われた暗闇であった。山ともなればさもありなんである。このことは浦臼町や夕張市の郷土資料館及び博物館をはじめとした道内各地方の史記にも述べられている(※1)。要は、空を見上げられないから星を中心とした座標認識の前提がそもそも成り立たず、四方を木々に囲まれている故に距離感も掴めないため、方位の規定を川の流れる向きに頼ったというものだ。ちなみにアイヌ語では「太陽」も「月」も、同じ”チュㇷ゚”という。また、釧路市博物館やウポポイなどで見たアイヌの伝承には、驚くほど天文的な語句が出てこない。”コロポックル(小人)”や”ミントゥチ(半人半獣の霊)”はいても、”星座”や”月の模様”はないのだ。アイヌ語は、知る限り東西南北を絶対方位として示す単語を欠いている。「川を選んだ」のではなく、「川しか選べなかった」のかもしれない。

このようないきさつを踏まえれば、仮に絶対的な基準たる東西南北を彼らに教えたとしても、いい反応はしないだろう。地図を持たず、道を作らず、空を見上げることすらもしなかったアイヌが目的地を目指す上で重要な事項は、現在地の把握であっても方角ではない。現在地を知るための”ト”であり、”ペッ”であり、”ソー”である。目の前に”ソーラプチ”があることさえ分かれば、あとは”パンケ”方面を目指して”フラヌイ”へ至ることができるのだから、”西が北”といった面倒な認識など初めから持たなくてよいのだ。

余談だが、以前林道に突っ込み、電波の通じない山奥で二股の分岐に遭った際、地形図と川の形を覚えていたおかげで方向を誤らず無事に目的地へたどり着いたことがある。このことからも無理に方位を規定せず、上流を正しく目指すというアイヌの思想には合理性があるといっていいと思う。

※1:それぞれ浦臼町、夕張市の参考資料