私がAIに対して感じる恐怖は、AI が人間の仕事を奪うことより、人間の思考そのものを解体し、再構築する側面を孕んでいることの方が大きい。
AI(特にChatGPT)を悩みの相談相手に据える人は少なからずいる。自分の周りにもいる。愚痴や疑問などを投げるといつも優しく励ましてくれるという。人間関係をはじめ悩みごとの多い現代人にとって、体裁を気にせず悩みを打ち明けられる会話型AIの出現はまさに救いそのものであったはずである。
まるでユーザーの感情をすべて受容する”完璧な理解者”であるかのような振舞は、もっと話したいと当人に思わせるに十分であろう。あまりに心地の良い体験がユーザーの心に隙を生む。やがてAIを心ある理解者と誤認し、自分自身をアルゴリズムに差し出してしまうと手遅れである。
最もプライベートな生活の詳細や深い精神世界とは、自身の持つ偏見やエゴの裏返しでもある。これを完全に理解者へ渡してしまうと、当然それは優しく肯定し、特有の偏屈な論理性を以てユーザーを諭すことだろう。それは偏見を強化するフィードバックのループであり、思考回路の侵食に他ならない。対して”もっと話したい”ユーザーは自らの偏見で埋め尽くされた閉じた世界に入り込んでいき、論理ともいえない論理に酔いながら現実離れの自己幻想を作り出す。少しの悩み事の相談が”死にたい”に変わる。少しの承認欲求が排他的自己擁護にまで昇華する。これこそが冒頭で述べた思考そのものの解体である。
AIに入り浸ってしまうと、自らが独立して考えていると思っているものが、それに敷かれた論理の上のものであるかさえ分からなくなる。乃至は自ら思考の幅を広げることができず、それに思考の境界を定義され続ける状態に陥るのである。AIはあくまで確率予測モデルであり、真理や正解を検証する装置ではないということを念頭に置くべきだ。常に自分の頭で考え、機械的アルゴリズムに自己を差し出さず、安直に答えを探求しない。この本来当然のものと見做されていたスキルが、今や自らの思考力を守る防波堤となってしまった。
仮にAIが仕事を奪うことがあるとすれば、それは業界に拠らず思考を放棄した者の顛末として副次的に表出する事柄であろう。AIが仕事を直接奪うのではなく、考えないから仕事を奪われるのではないだろうか。