前編はこちらから
今日出会った旅人たちにまた会える日は来るだろうか
問寒別に着く
北海道お馴染みの貨車駅舎だ
駅で10分ほど待ったのち、ゲストハウスのオーナーの方が迎えに上がってくれた
車にはもう一人、糠南で下車して行った方が乗っていた
今夜は3人で過ごす
宿に行く最中でもう一人の方は以前一度このゲストハウスに宿泊したことがあるということを聞いた
宿に着くなり差し入れなどをしていたが、自分は何も持ち合わせていなかったため少々気が引けた
宿に入ると猫が出迎えてくれた
少々の雑談、部屋案内を受けゲストハウスの近くの牧場で取れた肉で焼肉を始める
乾杯もして、場は大いに盛り上がった
辺境すぎて最寄りの建物でも400m以上先のため、何の躊躇いもなく話せる
もう一人の宿泊者は、秘境駅巡りが趣味なのだそう
旅を始めたきっかけは、バンドを解散して彼女とも別れ、友人4人に先立たれたためあてもなく線路を北に北に進んで行ったのが始まりだと言っていた
旅人同士は惹かれ合うもので、主に鉄道の話題で盛り上がった
結局2時過ぎまで宴は続いた
たまにはゲストハウスもいいものだなと思った
3/5(金) 晴
2時間半の睡眠(仮眠?)を取り起きる
暖房なしでも家の中は結構暖かい
猫は相変わらず可愛い
6時半に糠南駅に到着する下り列車を撮るために6時5分に宿を後にする
街灯のひとつもない道を進みながら、ここを歩いてくるつもりだったのか…と自嘲した
糠南駅に着く
噂通り、駅以外は本当に何もない紛れもない秘境駅だ
当駅は物置駅舎が有名である
物置の中には除雪器具をはじめ駅ノートも置かれており、かじかんだ手で拙いながらも一言書き込んだ
10分程待っただろうか
踏切の警報器が静寂の雪原に響く
地平線の彼方から稚内行のキハ54がやってくる
一名が下車してきた
列車を見送り、降りてきた人に話しかけてみる
どうやら札幌に住んでいて秘境駅を巡っている16歳だそうだ
16で秘境駅の哀愁に惹かれる心があるのか…と感心した
一つ北の雄信内駅で交換した上り名寄行の列車が到着するまで念願の駅に降り立てた感動を噛み締めながら朝焼けに照らされる駅を写真に収める
次に訪れるときにはこの駅は存続しているのだろうか
もう二度と見られないかもしれない風景をしかと目に焼き付ける
やがて列車が到着する
糠南に限らず板張りホームを有する1面1線の駅はキハ54の一両も入り切らないため基本的に北海道の鈍行列車は前乗前降である
名寄までの間ずっと談笑していた
何度も言うが、旅は楽しい
名寄に着くまでの間の廃止予定駅を窓から写真に収めつつ南下する
消えゆくものの美しさ、儚さを自分の心に留めたいと思う強い気持ちが所謂秘境駅マニアを突き動かすのだろうなと話していて思った
名寄で朝食を購入
その16歳は先の特急に乗って旭川まで行ってしまった
別れの言葉は交わせなかったが旅人同士繋がれてよかったと思う
自分は後発の快速に乗って旭川を目指す
2時間程の乗車で11:38に旭川に着いた
旭川で、昨日稚内で別れた旅人と再会し、天金という店の旭川ラーメンを一緒に食べた
旭川からも行き先が同じだったためどちらも12:41発の特急大雪網走行に乗車した
彼はハイデッカーのグリーン車に乗った
特急大雪に使われているのは国鉄型の283系(ママ、実際は183系)
車内は昔車内販売を行っていたであろうデッキややけに大きい洗面所など、国鉄の面影を少なからず残していた
念願の283系(ママ)である
乗り心地が非常に良い
4時間ほどの乗車で終点の網走駅に着いた
特急大雪は折り返し特急オホーツクとして札幌まで向かう
網走駅前は閑散としていた
彼はこれから更に釧路方面に向かうらしい
ここでお別れだ
かに飯を夜ご飯にと買っていた
2人でセイコーマートまで歩き、別れの言葉を交わし自分はホテルへ、彼は駅へ向かった
ホテルにチェックインし、街へ繰り出す
セブンイレブンで弁当を買うつもりでいたが旅先でコンビニ飯などしたくなかったのでふか井という居酒屋へ入った
カウンターには若くはない女性が3人いた
一瞬躊躇ったが入店する
大将と女将は飄々とした雰囲気で、テンポよく自分から注文を引き出した
地酒を飲みたかったが無く、長野の辛口の日本酒を頼んだ
食べ物はトマトを丸ごと揚げた店の人気商品を注文
結構腹は膨れた
女性3人は看護師として同じ職場で勤務しているそう
福岡から来た旅人を受け入れてくれた
自分がくるより結構前に来ていたのか、だいぶ酒が入っている
一人がカラオケに行こうと言い出し、自分の隣に座っている人に誘われてサービスの汁物を急いで啜り、半ば無理やりカラオケバーに連れていかれた
カラオケバーに入ると夫婦と思しき2人が出迎えてくれた
自分を誘ってくれた方以外は全員煙草をふかしていた
皆酒が入っているためか涙脆く、泣いている場面もあった
連日の疲れもありあまり気乗りはしなかったものの、いい体験ができた
誘ってくれた方がやがて潰れ、一応区切りはついた(一人は歌唱をやめる気配がなく自分と年長の女性の二人で帰ることに)
タクシーに乗り込みホテルまで送ってもらう
楽しさはともかく社会経験としてはいいものだった
その土地に少しでも溶け込むことができただろうか
明日は流氷を見るつもりだが気温が上昇しているので見られる確率は低いだろう
3/6(土) 雪
11時に目が覚めた
急いで身支度を済ませ、バス乗り場へ向かう
網走駅のバス乗り場の構図が中々分からず、網走監獄行きのバスを逃してしまった
じっとしていても仕方ないので順序を変えて先に流氷砕氷船乗り場行きのバスに乗車
流氷はなかったが船は動くらしい
流氷がないのに3500円も払うのは御免だと思い網走監獄行きのバスが到着するまで一時間待った
たい焼きのような生地の中にクリームが入ったお菓子を買ったが名前を忘れてしまった
3/7迄の販売のようだった
バスは網走監獄の敷地内に入る
バスから降りると相変わらず凍てつくような北風が身体を打つ
そそくさと施設に続く坂道を上がり、朝飯も食べていなかったため監獄食堂に駆け込んだ
監獄食Bのホッケの開きを頂く
ホッケは初めて食べたが、骨が取り出しやすく白身魚特有の青臭さがなかったのでとても食べやすかった
ブランチも済ませたところで、博物館網走監獄に入場する
旧本庁舎までの途中にもいくつか文化的な建造物やそれに対する説明もあったがそれをまじまじと見つめている暇などない
とにかく寒い
気温は零下8度である
本庁舎の中は暖かかった
北海道の開拓が囚人によって行われたことを示す資料や説明があった
一瞥した情報によれば網走で零下8度など当たり前だそうで真冬は零下20や30は満更でもないそうだ
外に出ればまた寒さに打ち震えることになるが、知識への欲求が勝り外に出る
凍える手で地図を確認しながら敷地内を回っていく
よく寝ている人を無理やり起こすことをたたき起こすというが、これは丸太一本を共通の枕にして寝ている囚人達をその端を叩いて一斉に起こしたことから来ているらしい
やはり歴史のある文化施設なだけあって得られる知識も多く寒さなど大したことではない
はずがなく、古く木造で造られた建物は暖房も入っておらず歩く度、息をする度、ポケットから手を出す度、身体から体温が奪われていく
気温は零下9度に達し、一つ一つの施設に対して割けるリソースが減っていった
結局3時間回るはずが2時間しか回れなかった
バスが来るまで1時間、暖房の効いた本庁舎の休憩室で待った
バスで網走駅へ向かう途中、急行宗谷色のキハ40が通って行った
ホテルに戻り、昨日入れなかったホテルの温泉に入る
明日の6:41発の釧路行き普通に間に合うようタイマーを2重にセットし、21時には寝た
3/7(日) 晴
早く寝すぎたせいか夜中の12時に一度目が覚め朝もアラームに頼らずに6時前には起きた
零下12度の中で、睫毛が凍るという人生初の経験をした
耳が無防備な為昨日もだったが痛くて仕方がない
芯から身体が冷えていく
朝は駅弁のかに飯にする予定だったが休業していた
一両編成のルパン三世ラッピング車両がぽつんとホームに佇んでいる
日曜だからなのか人が続々と乗ってきて出発する頃にはほぼ満員になった
登る朝日を左側に列車はオホーツク海に沿って釧路へ向かう
ふと天井を見やるとJNRのロゴが入った扇風機が
よほど金銭に余裕がないのだろう
やがて列車は海から離れ釧路湿原へと分け入っていく
エゾシカにも何度も遭遇した
大自然の中に線路を敷いた先人たちには感服する
釧路駅に到着
根室行の快速ノサップに乗るまで時間があるため荷物をコインロッカーに入れるのと何か口にするものはと思い一旦改札を出た
外は雪が積もっていたがそこまで寒くはない
しかし気温は零下1度
網走で完全に寒さに慣れてしまった
駅で釧路名産と銘打ったあじといわしのほっかぶり弁当を購入し列車に乗り込む
ほっかぶりとはタオルや手ぬぐいなどを頭から顎にかけて被る意味だそう
ネタの上には大根が被さっていたので恐らくこれがほっかぶりというものだろう
列車は別当賀から落石の間の落石海岸をどうしても見たかったため進行方向右側の席を確保した
何度も鹿を轢きそうになりながらやがて落石海岸が近づく
前面から写真に収めようと試みたが果たして上手く撮れず
少々落ち込んで根室に着いた
根室からは接続する納沙布岬行きのバスに乗車
乗車人数は花咲線が一両に満員だったのでこちらも多いかと思いきや7割強が他の観光地に消えたのたのか引き返したのか、バスには自分含め5人しか乗車しなかった
日曜日でこれで採算が取れているのかと思ったが定刻通りバスは根室駅前のバスターミナルを発車
一時間弱で納沙布岬に着いた
納沙布岬は荒涼としていた
天気が良かったため巨大なモニュメントの先には国後島と歯舞群島が見えた
バスが折り返してくるまでの50分程、日本初の灯台や北方領土資料館を訪れるなどした
低い気温に慣れているとはいえスマホを片手に持って歩いていてはたちまち体温が奪われ凍えてしまう
北方領土資料館で最東端到達証明書を貰っていたがポケットに入らなかったため持ち歩くのが大変であった
折り返しの根室駅行きバスに乗車する
車内は暖房がとても効いており、寒さの反動で眠ってしまった
根室駅で何か食べるものを買いたかったがどこもシャッターが降りていた
コロナの影響だろうか
釧路行きの普通列車に乗車
往路と違い、各駅停車である為釧路まで2時間半もかかる
帰りこそはと思い車両後ろのデッキから落石海岸にカメラを向ける
しかし区間が短く、またもや上手く撮れず
素直に諦め、広大な自然を目に焼きつける
徐々に、確実に日が沈んでいく
エゾシカも眠りについたのだろうか、復路は往路ほど鹿に警笛を鳴らしてはいなかったように思う
真っ暗な中乗客数名を乗せ、列車は根釧台地を駆ける
18:51、釧路に到着
腹が減って仕方がない
釧路発祥のザンギを食べに商店街の端に佇む店鳥善の戸を開けた
シャッターが少し降りていたので不安であったがやっていた
煙草をふかしていた店主の第一声は「ザンギと酒しかねえぞ」
米はないということだ
構わない
とりあえず席に座り、骨無しのザンギを注文
飲み物は日本酒
店内は煙たかったが、店主の腕前は確かなようで、厨房から香ばしい匂いのザンギが出てきた
食べる前にウスターソース風の甘辛タレに塩コショウをかけて食べるというセオリーを教えてくれた
食べてみると控えめな外見とは裏腹に肉の中から肉汁がどんどん溢れ出してくる
確かな味だ
やはり人気なようで食べている最中にも電話で注文が入った
店主は御歳75で、46年店をやっているとの事
テレビを見ながら煙草をふかす様は貫禄があった
明日ばんえい競馬を見に行くことを伝えると、昔は帯広以外にも旭川、岩見沢、北見に競技場があった事を懐かしそうに語った
談笑も一段落し、帰ろうかなとしていると店主が厨房からザンギをラップにくるんでサービスしてくれた
旅のお供に持っていけ、と
飲みきれなかった日本酒も持っていけと
なんと暖かいのだろうか
有難く受け取り、余韻に浸りながら店を後にした
感染症で大変な世の中だが、次に訪れる時にも会いたいものだ
3/8(月) 晴
やはりここは十勝だ(注:釧路は十勝地方には含まれない)
十勝晴れの言葉通り清々しいほどの快晴である
振り子式283系の特急おおぞらに乗り込み帯広へ向かう
帯広には1時間半程で到着
やはり帯広も快晴である
荷物をコインロッカーに預け、駅中の売店でクロワッサンとクリームパン、十勝の牛乳を朝飯がてら購入
稚内牛乳を飲めていれば違いがわかるのだろうが飲めていないのでとりあえず十勝の味を賞味する
普段飲んでいる牛乳とは確かに違う
舌触りがよくさっぱりとしていて、パック牛乳にありがちな舌に成分がまとわりつく感覚がない
これが本場の牛乳なのかと感激しながらまずは旧広尾線の幸福駅を訪ねにバスに乗る
北海道の主要な都市は碁盤の目のような規則正しい区画で街が構成されているため、バス停の名前も(地名+)縦と横の区画を合わせたものになる
自分が乗ったバスでは大正地区をどんどん南下していくため、横切る道路(〇号)に交わる度、大正9号、大正10号、大正11号…とどんどん号数が増えていく
やがて愛国駅を通過し大正駅を通過し幸福駅へ至る
十勝平野に位置するため当たりは見渡す限りの雪原、さらに快晴とあっては雪が太陽光を反射するためまともに目を開けられたものではない
バス停から400m程歩いた所に幸福駅はあった
幸福駅は元々幸震駅という名前であったが福井からの移住者が多かったため幸福駅と改められた
駅舎にはびっしりと桃色のメッセージカードが貼り付けられていた
とりあえず愛国から幸福ゆきの硬券を購入
日付が指定できると言われたので広尾線の最後の日にしようと思った
広尾線の最後の運行が1978/2/2と思っていたため62/2/2で発券した
しかし最終運行は2/1のため一日ずれてしまっていた
これが原因で後ほど愛国駅で硬券を買い直すことになる
最初の計画では幸福駅で1時間半過ごす予定であったがそこまでの時間を潰すほど設備が多様かと問われれば否
当時走っていたディーゼルカーのキハ22が静態保存されていたがコロナウイルス感染拡大防止の名目で中に立入ることはできなかった
時刻表で検索してみると5分後に帯広駅行きのバスが来るようだった
走れば間に合うかと思い雪に気をつけつつ目を辛うじて開けつつバス停へ急いだ
バス停に着いてから程なくしてバスが遠くに見えた
そのまま帯広競馬場へ行こうかと思ったが当初の計画から1時間早まっていたため愛国駅で下車することにした
愛国駅は駅ができた当初愛国青年団という団体があったためそれをそのまま取って愛国駅という名前がついたそうだ
こうしてみるとただ愛国から幸福と聞くと縁起がいいように思うが実際は縁起とは程遠い成り立ちである
駅舎は幸福駅と違い改築がなされておらず、旧広尾線史跡の中では最も文化的価値が高い
駅舎内には広尾線で使われていたであろう道具や例に漏れずメッセージカード、駅舎外のホーム側にはブルーシートで覆われたSLが静態保存されていた
愛国から幸福ゆきの硬券を買い直し、帯広駅前行きのバスに乗り込む
帯広駅からは帯広競馬場方面に向かうバスが出ている
所感だが、帯広駅は昔根室本線の他に士幌線や広尾線が延びていた交通の要衝であり、それらが消えた現在でも駅前はバスがひっきりなしに行き交っている様をみると、今も昔と変わらず公共交通機関が市民の足として機能しているようであった
帯広競馬場に着く
入口が分からず少々歩いたが、何とかレース前には入れた
焼き鳥を三本購入し、ばんえい競馬を鑑賞する
ばんえい競馬は普段自分たちが想像するようなサラブレッドがコースを疾走するそれではなく、450kgのそりの上に騎手が乗り、それを馬が引いて障害物を乗り越えながら直線のコースを駆けるものだ
旗手の合図とともに一斉にスタートする
スタートしてすぐ、馬たちの前には第一障壁である緩い丘が立ちはだかる
スタート直後とだけあって馬は飄々と障壁を突破
しかし450kgものそりを引いているため、馬は時々立ち止まりながら徐々に徐々に進んでいく
やがて第二障壁である高さ1.6mもの丘が立ちはだかる
ある馬はあまりの重さに喘ぎ、足を止める
ある馬は持てる力を振り絞って一気に坂を駆け上がっていく
その様は見るに逞しく、胸を熱くした
レースを終えた馬たちは勝敗に関わらず凛々しい風体であった
レースはおよそ30分おきに開催されるため、まだまだ見たいと思い焼き鳥を追加で3本購入した
施設内には馬券を握りしめた中年の男性が大勢屯していた
自分は結局賭けなかったが、疾走感はなくとも圧巻の迫力を誇るこのレースに夢を乗せたくなる気持ちはよく理解できた
恐らく次に訪れる機会があれば賭けるだろう
陽が傾いたため、17:50のレースを最後に競馬場を後にした
人生初の競馬がここで良かったと心底思った
晩飯は帯広市街のはずれのほうにあるいっぴんという店
勿論移動はバスである
帯広といえば豚丼であるが、ここの豚丼は炭火で焼いた肉で作られた豚丼を提供している
また素材も地産地消に拘り、肉は十勝平野の牧場から直送だそうだ
美味しくないはずもなく、並サイズを完食した
帰りももちろんバス
終電一つ前のバスで帯広駅へ
帯広駅はまだ20時だというのに売店は閉まりデパートも閉まり、人もまばらで閑散としていた
ホテルに向かう
安定のドーミーインだ
夜鳴きそばはもう入らないが温泉は堪能する
明日は留萌
3/9(火) 晴
6時に起き、支度をする
6:45発の特急とかちに乗り込み、新得へ
新得から東鹿越行きの代行バスが来るまで40分ほどの時間がある
朝何も食べていないため駅前でなにか買おうと思ったが周囲にはコンビニのひとつも見当たらなかった
失念していたがここは北海道であった
腹を空かせたまま代行バスに乗車
なぜわざわざ代行バスに乗るかといえば、根室本線の不通区間の被害を確認したかったのもあるが、なによりかつて狩勝越えと呼ばれた日本三大車窓にも数えられる絶景を是非見たいと思ったからだ
根室本線は狩勝トンネルが開通して以降峠を越えない新ルートを通るようになり、日本三大車窓と謳われた区間を走ることはなくなったが、台風で被災して不通になって以降代替手段となっている代行バスの通るルートは狩勝トンネルが開通する前の旧ルート
つまり皮肉にも鉄道が不通になったことで狩勝峠の車窓が復活したのだ
バスはどんどんと標高を上げていく
こんな勾配を汽車が登っていたのかと思うほど急峻な坂である
やがて頂上に差し掛かる頃、突如視界が開け眼下に十勝平野の大パノラマが広がった
緑と白に彩られ、地平線と交わるまで果てしなく続く情景を目にした時の衝撃が忘れられない
恐らく一生忘れることはないだろう
かつて汽車でこの車窓を臨んでいた時代に思いを馳せる
峠を登りきった後はみるみるうちに坂を下っていく
途中落合、幾寅と停車しながら東鹿越駅に到着
ホームにはキハ40が止まっていた
何気に初めてのキハ40である
3/13のダイヤ改正で全て淘汰されH100に置き換わるというから乗れてよかった
東鹿越からは富良野まで乗車
終点の滝川まで乗り通す手もあったが富良野線に乗ってみたかったこと、滝川まで行ってしまうと留萌まで都市を経由しないため飯にありつけないことから富良野駅で乗り換える
列車は軽快気動車のキハ120(150の誤り)
2両連結の為ホームの短い駅では車両が収まりきれず踏切上で停車するところもあった
旭川に着いた
ようやく飯にありつける
旭川ラーメンの有名どころを知人に訊き、青葉というラーメン屋に行った
ここのラーメンには衝撃をうけた
正油ラーメンだったが今まで食べてきたどのラーメンよりも美味かった
スープまで飲み干したのはいつぶりだろうか
ここは再訪すると心に決めた
旭川駅に戻り13:00発の留萌行に乗る
留萌本線はかつてはニシンの運搬で非常に栄えたがニシン漁自体の衰退やトラックへの転換などから今や莫大な赤字を垂れ流すローカル線に成り果ててしまった
留萌市側も廃線を了承しているため留萌本線に乗れるのも時間の問題だろう
1時間ほどで終点の留萌に到着する
駅構内には昔の駅や汽車の写真が飾ってあったが今では考えられないほどの賑わいがあったことをありありと伝えてくれた
駅そばを売っている店で駅弁を受け取る
完全予約制の駅弁、にしんおやこだ
列車で訪れる人の間では留萌駅へのアクセスの悪さや営業時間の短さから幻の駅弁と呼ばれている
内容はかぼちゃ、にしん、数の子と米
数の子がこれがまた大きい
にしんおやこのおやこはにしんと数の子の親子のことである
どれもしっかりと味が染み込んでおり食べやすく、塩辛さや青臭さなど当然全くない
明日の朝の分も追加で予約してしまった
ホテルにチェックインし駅弁を食べ終わり、街へ繰り出す
大きな通りに立ち並ぶ商店街跡や派手な街頭は、往年の賑わいを今に伝えていた
それと同時に、少子化などによる過疎化で寂れてしまった哀愁もまた確実に漂っていたように思う
雪で滑らないように注意を払いつつ夕日の名所である黄金岬へと急ぐ
途中波の音にいざなわれて少々寄り道をしながら目的地へと向かう
海へ続く下り坂に差し掛かると目下に荒々しい波が打ちつける海岸線が見えた
しかし、黄金岬へと続く道が見当たらない
道路を行ったり来たりして探したが見つからない
岬へ続く歩道が雪で覆われてしまっていたのだ
しかしここで引く訳にはいかないと思い、1m以上積もった雪の上を慎重に歩く
途中何度か足がはまって恐怖を感じたが何とか岬へ到着
息を飲む絶景だった
夕日に照らされる波が仄かな赤を帯び、激しく岩に打ちつけている
この景色もまた一生忘れることはないだろう
時間も寒さも忘れて日が沈むまでその場にいた
やがて辺りは暗くなり、惜別の念を抱きながら帰路につく
宿にチェックインした際に留萌のご当地クーポンをもらったのでそれを使える店に行く
訪れたのは丸喜という和風料理を提供する店
まずはオススメの6巻寿司を頼む
程なくして鮪、海老、サーモン、帆立、蛸、数の子の握りが出てきた
結構美味かった
今日は酒は飲むまいと思っていたが結局日本酒を頼んでしまった
毎日日本酒を飲んでいる気がする
まだ小腹が空いていたので炙り鯖と鉄火巻を頼んだ
しかし食べきれなかったため持ち帰ることに
会計は4000円近くいっていたがクーポンのおかげで2000円を切った
クーポンの存在は知らなかったため少々得した気分を味わった
また今日は本当に晴れてよかったと思うばかりである
3/10(水) 雪
注文しておいたにしんおやこ弁当を取りに8時40分に宿を発った
外は雨がぱらついていた
駅はやはり閑散としていた
弁当を受け取り、列車に乗り込む
外はいつの間にか雪に変わっていた
列車は定刻通り駅を発車
二度とは見られないかもしれない車窓を目に焼きつける
外は雪が強まり、吹雪いている
幻想的な冬景色に見とれているうちに終点の深川に到着した
かつては深名線、留萌本線などの列車が往来していたターミナル駅も留萌本線がなくなってしまうといよいよ一通過点の駅になってしまうのだろうか
雪がしんしんと降っている
列車が止まらないか心配になったが杞憂に終わった
札幌行きの特急ライラックに乗り込む
列車の中で食べる駅弁は美味い
列車は時間通りに目的地へと向かうが、岩見沢駅に到着してしばらく経っても列車が発車しない
どうやら富幌駅(恐らく野幌駅のこと)と江別駅の間が強風のため運転を見合わせているようだった
結局列車は11分ほど遅れて岩見沢駅を発車
当該の富幌(野幌)江別間は特急らしからぬスピードで通過した
遅れている列車はこの車両だけではないため当然ダイヤは乱れる
札幌駅で列車の先詰まりが発生し、橋梁の上に停車したり特急列車が普通列車に追い抜かれたりしているうちにみるみる到着は遅れ、札幌駅に着いたのは定刻より26分遅れた11:56であった
接続列車にも影響が及ぶため今日は一日ダイヤが乱れたままの運行となるだろう
急いで指定席券を発行して函館行きの特急北斗に乗車
途中何度か寝そうになったが登別で降り損ねると大変なことになるため懸命に堪えた
登別駅はロッカーが600円のものしかなかったため少々痛い出費となってしまった
バスで登別温泉へ向かう
山を登ると雪が雨のように降っていた
水分を含んでいるため服にこびりついて溶けだし、服から染み込んできて身体を凍てつかせる
向かい風の中停留所から800m先の地獄谷へ足を進める
周りを見渡せば見上げるほどのホテルが林立している
600m程歩いた頃だろうか、建物の合間から淡い緑色の山肌が顔をのぞかせた
よく見ると所々から煙がもくもくと発生している
自然と足早になる
事前によく調べていなかったため、結構奥の方まで遊歩道が整備されていたのに驚いた
雪で滑りやすくなった板張りの遊歩道を慎重に歩く
間欠泉の近くを通る度に仄かな硫黄の臭いが鼻をかすめる
あいにくの天気の為山肌から発生している蒸気と霧の見分けがつかず、また視界も悪化しているため展望台からは全景を見渡すことは叶わなかった
しかし長時間遊歩道に留まっていたためか服に硫黄の臭いが移ってしまい小一時間痛い目を見た
本来ならば3時間滞在する予定であったが悪天候と寒さのため一時間半程で退散した
旅程が前倒しになった為一度東室蘭で宿にチェックインし、しばし寛いだ
室蘭支線は2時間に1本程のダイヤであるため何となく駅に着いたのが17:30、室蘭行きの17:38を逃してしまえば次に発車するのは19時台になる
ダイヤをあまり気にせずに行ったのでそのことに気づいた時は間に合ってほっとすると同時に自分の無計画さを少々恥じた
室蘭へは特急すずらんの車両がそのまま運用についた
6両の為輸送力過剰も甚だしい
室蘭に到着し、カレーラーメンの店へ向かう
かつての室蘭は鉄鋼、港の重要な拠点であり、それらによって街は発展した
その時に現場の労働者に好まれたのが味が濃く栄養価が高い料理であった
カレーそばや室蘭やきとりに代表されるそれは今では炭鉄鋼飯のひとつに数えられている
カレーラーメンはそれの派生である
口にする前はカレーとラーメンの組み合わせに懐疑的だったが食べてみると全然ありだった
ちぢれ麺にカレーの風味が染み込んで濃厚な味わいとなっていた
腹ごしらえも済み、室蘭の夜景を写真に収めに行く
最初の夜景スポットに着くまで駅から徒歩で1時間かかった
海に近づくにつれ風は強まり気温は下がり、ある種の恐怖心が心のどこからか沸いてくる
怖気ずにカメラがぶれないようにしつつシャッターを切る
個人的に微妙なビュースポットに思えたので、更に海に近いビュースポットへ行こうと決意
ここで調べて発覚したが、室蘭から東室蘭へ戻る列車は21:45で終電となるらしい
現在時刻が19時半なので、残り2つも回るとなると結構な急ぎ足で回らなければならない
2つ目のビュースポットまでは直接距離は短いが接続する道がないため一旦道に戻って大回りをしなければならなかった
比較的大きな道路では街灯が設置されているものの丁字路を曲がると街灯はなくなり舗装もあまりされておらず、真っ暗闇の中を進まなければならなかった
海から吹き付ける強風と凍てつくような寒さが恐怖心をより一層駆り立てる
引き返そうかと考えたがすぐにその思考は拒絶した
やっとの思いで撮影地に到着
一箇所目は小高い高台から水平に橋を見る形であったが、二箇所目のここは橋を下から見上げる形になる
あまりに強い風を堪えながらなんとか写真を撮り次の目的地へと急ぐ
道中ふと先程撮った写真を見返すと、どれもシャッタースピードの設定を間違えて見るも醜い画になっていた
これはさすがにと思い来た道を引き返す
恐怖心を押し殺し、再び真っ暗闇の中を小走りで駆け抜ける
今度は撮った写真をその場で確認し、再び3つ目の場所へと向かう
現在時刻は20:05
完全に時間を奪われてしまった
焦る気持ちが足を目的地へと急がせる
公園を横切り信号を渡り、山へと入っていく
進むにつれ、やはり街灯のスパンは長くなり辺りは暗闇に包まれる
とにかく時間との勝負でもあるから、山の中腹まで登ったところでも夜景は見えたためここで引き返そうかと思ったが好奇心が勝りまだ上へ行く
そして、町道と別れ展望台へ続く道を見て狼狽した
完全な暗闇だったのだ
これまでは暗闇とはいえど橋桁の照明や作業場の非常灯など、少なからず光はあった
しかし今度は周りに家も作業場もなければ市街地からも程遠いため、墨を塗ったような光景である
恐怖に呑まれ進もうか否かと葛藤している自分の周りを冷たい風が吹き抜ける
しかし、ここまでも少なくない恐怖心と戦って来て、今更引き返そうなどとは思えなかった
スマホのライトで最小限の灯りを確保しながら、つづら折りの坂道を駆け上がる
熊は出ないだろうか、狐と出会わないだろうか、足を滑らせないようにしなければ…
振り返ってみても相当心臓に悪かったように思う
カーブを2つ抜けた先に展望台はあった
勿論照明など一切ない
しかし、夜景というものは、辺りに光がないからこそ輝きが増す
今まで只管に恐怖を煽ってきた要素は、景観を引き立たせる要素に変わる
標高200mから見渡す室蘭の夜景は、恐怖心からの解放と相乗して言葉にできない達成感と感動があった
無事にその風景をカメラに収め、今度は列車に間に合うように坂を駆け下りていく
市街地に出ればまた街灯が煌々と道路を照らしていた
やはり光というものは安心する
室蘭駅に向かう途中にD51機関車が安置されていた
かつて賑わった土地も、今やすっかり寂れてしまったのだと、虚しい気持ちになる
室蘭駅には出発の30分前に着いた
夜間入口というものがあるそうで、正面のドアは閉ざされていた
中に入ると、待合スペースにも窓口にも入れないようにシャッターがおりていた
券売機も、案内板すらも灯らず最低限構内を照らす照明だけが灯っている状態なのでであった
列車の出発まで時間があるため改札から中に入っていいか迷ったが程なくして来た老人が入っていったのでつられて中へ
出発が近づくにつれ初老の男性が一人、買い出しの帰りと思しき中年の女性が一人、会社帰りと思われる壮年男性が二人…と徐々に増えていった
室蘭駅1番線に入ってきたキハ115は塗装が剥げその姿は痛ましく、老朽化を隠せていない風貌であった
最終的には12人が乗車
定刻通り室蘭を発つ
定刻通り東室蘭に到着
疲れがどっときた
明日早起きでないことをありがたく思った
3/11(木) 晴
例のごとく体力が落ちていようが目が覚める時間は早いため、予定より一本列車を早めて乗ろうと10時前に宿を出た
平日とはいえ乗客は多いだろうと思い指定席を取ることにした
が、指定席は全て満席で取れず、恐らく自由席も空いていないだろうということが予見できた
流石に全て満席ということは想定していなかったため本来乗るはずであった特急に乗ることに
指定席は難なく取れたが、出発まで1時間ある
駅で待ち続けるのも嫌なので、昨日貰い損ねた室蘭駅の下車印を貰いに室蘭へ行くことにした
無事下車印をもらい、東室蘭へ引き返す
接続する特急北斗に乗り込み函館へ
函館には14時頃に到着
長大なカーブしたホームが印象的である
一度でいいから函館から夜行列車に乗って旅立ってみたかったものだ
これからどうしようかと考えたが重い荷物を抱えたまま移動するのは避けたかった
普段ならロッカーに預けるがホテルのチェックインが16時からであったため2時間しか預けないのに400円も払うのは流石に無駄遣い
とりあえず函館からマックを駆逐したことで有名なラッキーピエロに行く
注文したのはチャイニーズチキンバーガーとフライドポテト
店側のオーダーミスで結構待ちぼうけをくらったがドリンクのサービスがもらえた
非常に美味い
バンズにもこだわりがあるようでマックの弾力を失ったそれとは大違いである
店を出たのは15時頃
いよいよ微妙な時間である
とりあえず明日の新幹線の18切符オプション券を買いに函館駅に戻る
てっきりオプション券で新函館北斗から新青森まで乗り通せると思い込んでいたため木古内から奥津軽いまべつまでしか乗車できないことに気づいた時には慌てた
始発で出てもダイヤの噛み合いが著しく悪い為、青森駅までいくまでで既に7時間かかってしまう
本来ならば9時に函館を発っても15時には深浦に着く予定であった
最速で行っても青森に着くのは14時
深浦に着くのは18時台である
大人しく乗車券と新幹線特急券を買おうか…と思ったが、青森からは普通列車の前にリゾートしらかみ号が接続していた
リゾートしらかみに乗れば16:36には深浦に着く
しかもリゾートしらかみは18切符でも指定席料金さえ払えば乗車できるため、これだと思い急いで指定席を取りに向かった
幸い海側のA席が空いていた
これで一安心である
時間も丁度16時に差し掛かったので、ホテルにチェックインし、街へ繰り出す
初めに五稜郭タワーに行こうと思っていたがコロナのために臨時休業していた
それに気づいたのは路電で五稜郭タワーの近くまで移動してしまってからであったため運賃を損してしまった
諦めて反対側に引き返し、末広町駅で降りて赤レンガ、八幡坂等を散策しながら北海道最後の観光地、函館山へと向かう
乗車券を購入する時に展望台の様子がモニターで映し出されていたが、どうも人が多い
流石だな…と思いつつロープウェイに搭乗し山頂へ
幸い展望台の下にデッキがあったため日が暮れるまで時間を潰した
景色はみるみる暗くなり、太陽に照らされていた街はやがて空を照らし始めた
変化に見とれていると上から学生の団体が降りてきた
恐らく修学旅行生であろう
人が多い原因はこれかと納得がいった
学生が去ってからしばらくの間デッキに残ったのち、いよいよ展望台へと続く階段を登る
扉を開けると冷たい風が舞い込んでくる
展望台にはまだ人が大勢いた
景色を見ようとするが人に遮られてよく見えない
最上の展望台デッキはコロナの影響か閉鎖されていた
人が去るのを待ち、ようやく隙間ができたため100万ドルの夜景と対面
眼には函館の地を埋め尽くさんばかりの街の眩い光が飛び込んできた
立ち尽くすとはこのことを言うのだろう、しばらくはその壮大さに圧倒され身体を動かすことが出来なかった
これが100万ドルか――
今まで見てきたどの夜景とも一線を画していた
奥行き、明るさ、そしてそれを見渡すロケーション、全ての要素がひとつの景色を華やかに演出する
衰退したりとはいえ流石は函館
しかと目に景色を焼き付ける
いつまでもいたかったが、晩飯の時間もあるため7時前にはロープウェイで下に降りた
帰路は路電の写真を撮ったり八幡坂に寄ったりしながらフラフラと帰った
夜はホテルから近い朝市の店へ
店員のおばさんが気さくだった
ホテルで2000円分のクーポンを貰っていたため1800円の特上丼がタダ飯になったどころか逆に儲かってしまった
ホテルに戻る際、ふと函館駅に寄ったがやはり構内は静かだった
かつては夜行列車を待つ人々で賑わっていたホームももはや過去のものである
哀愁を感じながらホテルへ戻る
北海道を出なければならないのが名残り惜しい
また再訪したい
その後は裏日本、中山道(中央本線)を経由して福岡へ向かった。
読み返すと、風景よりもやけに人の数に注目しているなと思う。それだけ印象的だったのだろう。
最近は旅の日記を残さなくなっていたが、また書いてみるのもありかもしれない。
↓は当時出発前に作っていた旅程。紙に事細かに書き込んでいた頃が懐かしい