これが出発の1週間前までにまとめていた旅程だった。
私は帯広の病院に通院しているので、どうせならそのついでに冬の道東と道北とを周遊しようというものである。総運転距離は1300kmぐらいなので結構収まった方だと思う。
釧路から帯広までは下道で約2時間、病院には10時までに着けばいいので8時までは時間がある。
私はかねてより行ってみたい場所があった。釧路から北へ約30分走ると鶴居という村に至るのだが、その市街地までの道中に或る有名な橋がある。名を音羽橋という。
この橋の架かる雪裡川はサルルンカムイ(湿原の神)とも云われるタンチョウのねぐらで、零下何十度という冬の明け方にはけあらしに包まれるタンチョウの幻想的な光景が広がる。
つい最近3年間愛用してきたコンパクトデジカメからフルサイズのミラーレス一眼に乗り換えたので遠くにいる鶴の姿も500mmの望遠レンズがあれば捉えられるだろうと踏んで、明朝4時頃に釧路を発つことにした。
この2泊3日の旅行だが、まず初日というか前日から狂ってしまい過去一二を争うほど無茶苦茶なものになってしまったので、本稿はその反省も兼ねての備忘録である。
2/5
この旅は前日深夜の23時に始まった。
音羽橋だが、冬はどうやらバードウォッチャーの方々の車が殺到するようで、もしかすると駐車場に停めることができないかもしれないという懸念が出てきた。明朝に鈍器のような望遠レンズを担いで車を走らせたのに、撮影地に足をつくことすらできないというのは虚無そのものである。
寝ようとすればするほど目が冴えてしまうのでそれなら今から行ってやるということで向かった。
駐車場には2台の車が停まっているのみ。自分の他に光源は無い。外に出るとパリパリにしばれた空気が全身に染みる。
風も生き物の鳴き声もない完全な静寂で、空を見上げると見事な星空が広がっていた。F4の標準ズームレンズで撮ってもこれである。実際はもっと煌めいていた。星とはかくも綺麗なのかとこの時思った。
一通り感動したところで時刻は25時を回り、寝なければならないのだがとにかく寒い。寒いこと自体は分かりきっていたので上着は6枚、下には3枚、靴下は2枚履いていたのだが、特に下半身が凍えて仕方がない。
ちなみにこれが人生2度目の車中泊だが、寝袋は持っていないし他の車がエンジンをたいていない以上私もこの静寂に水は差せまいと極寒の中無理やり寝た。普段、暖かい布団で寝られることのありがたみをひしひしと感じた。車内は零下10度程だっただろうか。
ちなみに、恐らく翌朝の撮影時間帯に駐車場が埋まってしまうというようなことは起きていなかったと思う。大人しく布団で寝ていればよかった。
2/6
足先の感覚が消えているような気がして目が覚めた。時刻を見ると3時で、まだ日の出までは3時間半もある。
とにかく寒い。たまらずエンジンをつけて暖を取る。
これから3日間ずっと車を運転しなければならないのに初日の睡眠時間が2時間というのは致命的だ。
やがて空が白みがかる。
友人が貸してくれた三脚を持って橋の上に設置しに向かう。歩いていると、あまりの寒さにえずいてしまう。北海道に来てから、あまりに寒すぎると吐き気を催すということを知った。
6時前、日の出の30分前頃になると橋の上に人が集まり始める。
明るくなるにつれ、けあらしの立つ川の向こうにタンチョウのシルエットが浮かび上がる。
ファインダーに写る現実離れした光景に思わず寒さを忘れてしまう。気づけば2時間も零下15度の中に立っていた。
下半身の感覚はもはや無く、足の指を動かしても動いている感触がない。この稿を書いている2/10時点でも未だに指がビリビリする。凍傷になると指を切断しなければならないこともあるので気をつけたい。
撮り終えた達成感と満身創痍で悲鳴を上げる身体と共に帯広へ向かう。
そそくさと診療を済ませて、用事のある旭川を目指す。
途中、初めて自らの足で狩勝峠を越えた。十勝平野を一望するためだ。
かつてここに線路が敷かれていた時はその雄大な景色から日本三大車窓と謳われていたそうだが、地平線の彼方まで大地が続く光景が長いトンネルを抜けた直後に目に飛び込んできた折には、誰しもがその風景に釘付けになったことだろう。
ちなみに現在は山に登らずに済むよう線路は新線に付け替えられたため、現在鉄道からこの景色を拝むことは叶わなくなった。
狩勝峠を越えて旭川へ向かったのにはもうひとつ理由があり、今言った日本三大車窓を有する路線である根室本線の駅を写真に収めたいためだ。
根室本線の一部区間は8年前の台風で被災してから列車が通っておらず、今日に至るまで復旧されることなく来る3月末で廃止されてしまうことが決定している。私自身北海道で鉄道旅をしていた時には何度も使った路線であるので、せめて写真という形ででも残したかった。
落合駅~布部駅に立ち寄って今までお世話になった駅舎に別れを告げる。また更に鉄道旅がしにくくなるのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
布部を発つ頃には日が暮れ始めていた。旭川へ一路向かい、19時に旭川着。待ち合わせは20時だったので1時間仮眠をとった。思えばまだ何も口にしていない。
旭川で友人と会ってシーシャを吸いに行った。釧路にもシーシャの専門店ができてほしい。
解散したのは24:30で、ここから休むということはなく160km先の天塩中川駅に向かわなければならない。冬になると現れるラッセル(除雪)車がその駅にやってくるので、北海道にいるからには一目見ておきたかったからだ。
しかし、楽しすぎて少々遊びすぎた。
情報が出回っていないためラッセルのやってくる詳しい時間は知らなかったが、大体26:30頃というのは掴んでいた。
すると、80km/hで走り続けなければ間に合わない計算になる。ここまで来ておいて今更背に腹は変えられないので凍結した冬道に乗って旭川を後にする。
有料高速に乗り、ハンドルを固く握りながら130km/hで駆け抜けてだいぶん時間を短縮した。次の短縮ポイントは名寄から美深まで部分開業している無料高速だが、おりしも名寄の手前で雪が降ってきてしまい、しかもそれがなかなか強いし既に積もってもいる。
高速を降りてからも80km/h近くで飛ばしていたので交差点で制動が効かずオーバーランしたこともあった。
この天候のおかげで無料高速は50km/h制限だったが、そんな悠長にしてはいられないのでスリップしない限界の90km/hで飛ばす。ハンドルを握る手に汗が滲む。
高速が終わってからもひたすら飛ばした。北に行くほど雪が酷く、より路面状況は悪化した。途中何度スリップしたか分からない。
音威子府を過ぎると、路面状況に加えて道の方もカーブが多くなって思うようにスピードが上がらない。ナビによると、どうやら着くのは26:40頃になりそうだ。
ここに来るまでの間にもナビの到着予想時刻は遅れ続けていたのでもう半分諦めていた。
到着予想から3分遅れで26:43分に天塩中川駅に着いた。26:30に間に合わなかったというだけで、所要時間だけでみれば160kmの冬道を平均73km/hで走ってきたことになる。
駅前の駐車場に車を停めて駅へ向かうと、ガラガラというエンジン音が聞こえてきた。どうやらまだいるようである。
開業当時から不変の木造駅舎に佇む赤い巨躯は、独特の趣があった。見られないものだと思っていたので感動もひとしお。
26:50頃、ラッセルは更に北の稚内へ向けて発車していった。前照灯に照らされた雪が、深夜の秘境駅に味を添えていた。
完全に疲れ果ててしまった私は、知り合いのゲストハウスまでの15kmを運転する気力すら湧かず寝てしまった。2夜連続の車中泊で苦しいが、暖房だけはきちんと確保して寝た。