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前述の保険にまんまと救われた。30分の仮眠のつもりが2時間も寝てしまっていた。

ここから目的地までは2時間弱かかる。時間にゆとりがあれば昨日行けなかった遠軽に立ち寄るつもりでいたが、そんな余裕はなくなってしまった。

旭川紋別道に乗って向かう先は緋牛内という駅。

せっかく望遠レンズを持っているので、それでしか写せない朝の情景を覗きに行く。

シビアではあったが無事到着でき、列車がやってくるのを待つ。いつの間にか列車を追いかける旅になっているような気がしなくもない。

500mmで写す通学列車の交換風景。

明治の開拓以来、鉄道と共に発展してきた北海道。時代が過ぎて人が減ってしまっても、確かにそこには人々の営みが根付いているのだということをこの風景は教えてくれる。

この日はオホーツクの能取岬へ向かい、オホーツクに沿いながら知床半島のウトロを目指すつもりでいた。

しかし昨日、ウトロと裏側の羅臼町で野鳥が撮影できる流氷クルーズが行われていることを知った。13時から1時間のクルーズがあるとのことで、急遽ウトロではなく根北峠を越えて羅臼町を目的地に定めた。

緋牛内駅を離れ、道中でメルヘンの丘に立ち寄りながら能取岬へ。

網走は沈鬱とした天気で、色彩を失った空と流氷の張り詰めた海とがそれぞれの境界を滲ませていた。

ウトロまでは行かないものの、知床半島の入口の”天に続く道”という北海道の秀逸な道に選ばれている場所には立ち寄りたい。

30分ほど散策して東へ。

道中でオホーツク海に最も近い駅である北浜駅に立ち寄るとちょうどよく釧路からの列車が来てくれたので隣接の展望台から1枚。海岸線に沿いながら網走へ向かっていく列車には、どこか哀愁を纏ったような趣があった。

天に続く道は見事だった。始点である撮影地から、28kmの彼方までまっすぐな道が続いている。年に2回道路の真ん中に太陽が沈むそうだ。

ここから根北峠を越えるのだが、如何せん疲労が溜まっている。釧路を出発してからというもの、昨夜のジンギスカン以外ほぼ何も食べていないしここ3日間の睡眠時間は合わせても9時間程度だ。

根北峠は緩やかな峠であるが故に冗長で、何度も眠ってしまいそうになる。仮眠をとってしまうとクルーズに間に合わなくなる。ダイヤに縛られる旅でもないのになぜこんなにシビアなのだろうなどと思いながら羅臼町に入る。

意外にも、オホーツク海と半島を隔てたこの町の流氷が一番密度が高く迫力があった。なんでも、知床半島を越えてきた流氷は国後島に南下を阻まれて半島との間に挟まれることになるため、逃げ場のない氷は漂うことなく密になってしまうのだそうだ。

12時過ぎにクルーズ船の受付をし、水を買う。何日も車中泊をしていると乾燥が酷くて喉が激痛を訴え始める。

13時の便には自分以外カメラを担いだ人はいなかった。

沖合に出るやすぐに海鳥やワシの大群が見えてきた。

船頭が餌を撒くと、我先にと寄ってきて奪い合う。海鳥がくちばしから突っ込むのに対して、ワシは足で掴みにかかる。これが本当の”鷲掴み”だよ、と船頭が笑う。

初めての野鳥撮影だったが、存外に楽しい。早朝には2時間半たっぷりと撮影できるクルーズもあるそうなので、是非参加してみたいと思った。

満足感とともに帰路につく。羅臼国後展望台に立ち寄って羅臼の街を眺め、最後はコーヒーを買いカフェインの力を借りることにした。

知床から釧路に帰る時はいつも太陽を正面に見ることになる。今年は暖冬で、昼に溶けて路面に溜まった雪が時折陽の光を反射して視界を奪う。

中標津のコープに立ち寄り、ノンホモジナイズの牛乳を買う。内地では滅多にお目にかかれないものだが酪農の盛んな道東では普通に売られているし、ましてそれぞれの地域の独自のブランドがあったりもする。

中標津の牛乳と迷ったが、養老牛の方にした。あまりに脂肪分が濃すぎて口の部分は成分が凝固してしまっている。

濃厚な味わいを楽しみながら南進する。

日没の直前、西に沈む夕陽が根釧台地を赤く染め上げる。釧路周辺の道東地域の夕日は、見る者の心を打つ美しさがある。なぜだかは分からないが本当に心に染みるのだ。

18時頃に無事釧路に帰ってこられた。

色々な言葉で飾ってはいるが本当にきつかった。寝ず、食べずに自分の足で動き回る旅は本当に疲れる。寝ていても目的地に着いてしまう鉄道旅とは全く違う。

3日間の総運転距離はおよそ1350km、総睡眠時間は9時間、食べたものはウィダーインゼリーと菓子パンとジンギスカンのみ。次はもっと文化的な旅をしたいものだ。

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