釧路駅に着いたのは5:10であった

いつもは札幌とを行き来する特急がいるはずの1番線に、ステンレス車体に赤の帯が入ったディーゼルが一両、エンジンをふるわせて発車の時刻を待っている

今日は月曜日、しかも発車は30分後だというのに、車内の席はほぼ埋まっているようであった

発車時刻までにはほぼ全ての席が埋まり、根室方面への始発列車、快速はなさきはディーゼル特有の二段階加速と共に動き出す

ところで、憂うべきことが2つある

ひとつは客が多いこと、もうひとつは霧が濃いことだ

旅は一期一会、とよくいうが、花咲線の一番列車に乗るような乗客はそれすなわち根室までの客であり、須臾の時間を共にするだけならまだしも、その先までの行程まで共にするとなれば自然と意欲も削がれてしまう

花咲線の車窓は面白い

釧路を離れて別保を過ぎ、3つのトンネルを抜けて厚岸に近づくと厚岸湖、別寒辺牛(べかんべうし)湿原とが現れ、目を楽しませてくれる

ただしそれは快晴の時の話で、今の天気は濃霧、視界は悪く、200m程度の先までしか見えない

道東、特に釧路や根室では、天気予報の”晴れ”は”太陽が照っている”ことと同義ではない

なぜなら南から吹く暖かく湿った空気が、寒流である親潮に冷やされることによる温度差で頻繁に霧が発生するからだ

それが南風によって陸に流れ込み、大地を立体的に覆うのだから、太陽の光は減衰し、肉眼でも直視できるほどの明るさになる

しかし、例え霧が出ていても太陽が雲に覆われていないのならば気象学的には”晴れ”であり、今日の天気予報でも例外なく”晴れ”であった

立ち込める霧に太陽光が反射して温かみを帯びた色彩となり、車窓に映る

つくづく気味の悪い天気だと思う

しかしながら、海から離れると霧はなくなる

糸魚沢、茶内の辺りでは内陸を走るので霧が届いていなかった

快晴の花咲線の車窓も楽しいけれど、霧の有無によって線路の位置を推理するというのもそれはそれで乙なものだろう

朝早い出発だったので、外を眺めるうちにいつの間にか眠ってしまっていた

浜中で覚め、眠り、厚床(あっとこ)で覚め、また眠り、落石で根室までの通学生が乗ってきたのでまた目が覚めた

右車窓には落石海岸の海岸線が、壮麗な曲線を描いて太平洋に手を伸ばしている

落石まで来れば根室駅は目と鼻の先である

列車は海岸線に背くように進路を左へ変える

やがて牧草ロールがまだらに転がり、どこまでも続こうかと思える平原が左手に見えてくると西和田駅に着く

北海道の景色を讃える常套句に”手付かずの自然”というのがあるが、この平原の景色に関しては3年の時を費やした”拓(ひら)かれた自然”である

「和田」という地名は屯田兵団の代表者の姓を取ったもので、目を凝らせば車窓からも彼らの功績をたたえた碑が見える

入植当初は各自に与えられた家も見えぬほどの密林だったそうで、開拓者たちは文字通り血と汗と涙を流しながら、3年の月日を費やして地平線の彼方まで続く雄大な景色を作り出したのだった

日本最東端の駅である東根室駅を過ぎ、8時ちょうどに根室駅着

実に釧路から135km、2時間半の旅路である

最果ての街根室はまだ霧の手には落ちていなかった

ここから、更に東を目指して納沙布(のさっぷ)岬へ行こうと思う

駅前のバスターミナルで乗車券を購入したのち、バスに乗り込む

バスはそそくさと日本最東端の国道から離れ、根室半島をぐるりと囲む道道35号に乗る

ここまでかろうじて晴れていたが、最東端の郵便局のある珸瑤瑁(ごようまい)を過ぎた辺りから、文字通り雲行きが怪しくなってきた

青空は以前その顔を覗かせてはいるものの、まだ霧とは呼べぬ小型の水蒸気の塊が帆船のように低空を舞い、空を覆いつつあったのだ

本土最東端の納沙布岬に着いた頃にはすっかり霧は濃く、”納沙布岬”の碑から数百mとない”四島のかけ橋(アーチ状の物体)”は、遥かな向こうにあるかのように茫洋と霞んでいた

当然、こんな天気で北方領土など見渡せるはずがない

実は私は一度ここを訪れたことがあり、その時は限られた時間を”四島のかけ橋”に代表される北方領土返還運動のモニュメント群の観察に費やしてしまって満足に観光できなかったため、関心が向くのはそれらとは反対側に佇む納沙布岬灯台であった

灯台へ向かう道中では、家族が総出で賑やかに昆布干しをしていた

そういえば、バスの車窓からも昆布を干している光景を頻繁に目にしたので、今はそういう時期なのだろう

この灯台の歴史は古い

船が特に座礁しやすい場所であり、また南下政策をとるロシアに対しても睨みを効かせられることから、北海道で最初に建てられたものである

船の難所と恐れられた地域で、この灯台が船員に与えた安心感はいかほどだろう

現在ではもう使われていないが、船の保護、国の防衛とを担ったこの灯台からは並々ならぬ貫禄を感じた

灯台の周りを散策し、数多の船を沈めたであろう岩礁を撮っていると、にわかに空が明るくなった

気がつけば、あれよあれよという間に霧が晴れ、隠れていた水平線と、そこに浮かぶ大量の昆布漁の船が現れたではないか

左を見やれば乳白色に閉ざされていた”四島のかけ橋”が、前方を望めば国後島が、その姿をあらわにしている

風向きが変わったのだろうか、変わったにしては風を感じない

なんという幻想的な演出だろうと思ったし、とにかく不思議でならなかった

感動しているうちにバスの出発時刻が近づき、来た道を戻る

行き見た家族は、まだ元気に昆布を地面に広げている

ふと振り返れば、ほんの10分前まで遠く霞んでいた灯台は、はっきりと、その威風堂々たる貫禄を示していた