最近、廃墟や廃道を訪ねることが増えた。北海道を周遊しすぎて、もはや普通の観光地に行くだけでは満足感を得にくくなっている気がする。

そういうわけで、積丹半島の西海岸に位置する神恵内(かもえない)村にある廃道を訪ねることにした。聞くところによると、放棄されたトンネルの内部が大変な状態になっているらしい。

積丹半島の輪郭をなぞるように敷かれた国道229号を北上し、現道、旧道、旧旧道の三代が併存する「キナウシトンネル」までやってきた。

今回我々が探索しようとしているのは坑口が塞がれている二代目となる。ただ見ての通り写真の方角からは入れそうにないため、一旦出口側に回って考えることにする。

当然というべきか、こちらでもやはり柵が設けられていた。そもそも旧道というものは基本的に立入禁止である。維持管理の手が及ばず、安全が保証できないからだ。

写真の画角には写っていないが、柵は海岸擁壁の外べりまで突き出していてネズミ返しのようになっており、意地でも侵入させまいという意思が伝わってくる。

しかし往生際の悪い我々は山側の落石防護フェンスを乗り越えて現道を跨ぎ、柵を三代目のトンネルごと乗り越えることにした。

※イメージ図

ということで、背丈ほどある藪を30分以上かき分けて無事柵の向こうに降り立った。道中ヒグマらしきものの気配を感じて足早に進んだため、藪の中の写真はない。

ここから晴れてかつての国道を歩ける。

西日が差し込む覆道に、我々の足音と打ちつける波の音がこだまする。こういう場所を英語ではLiminal Spaceというらしい。放棄されて数年経つとはいえ、廃道にありがちな路面の汚染やペイントなどの人的なイタズラもなく、往時の姿を色濃く留めているように思えた。海面から遠いのと立ち入り難易度の高さがそうさせるのだろう。

裏を返せば、トンネルの内部が大変だと思わせる要素はまるでない。そのまま景色は変わらず、ついに南側の坑口で見たようなコンクリートの壁に行き当たってしまった。訝しげに道路脇の平場に出たところで、前方の岩が迫ったあたりの様子がおかしいことに気がつく。

近づいてみると、なんと重厚なはずのカルバートが傾いて岩に寄りかかってしまっていた。接地面は大きくズレて、外見ではひと続きのトンネルだと分からない。もしやと思い、都合よく空いていた穴から内部に侵入する。

平衡感覚を失ってしまうほど歪められた空間に、寄せる波の轟音が無常に響き渡る。没個性の象徴たるトンネルは破壊によって冒涜的な性格を帯び、朽ちゆくものの美醜を漂わせ、人間の業の儚さを暗示するかのようであった。

数年と経たないうちにこのトンネルは完全に波に洗われてしまうのだろう。1時間ほど滞在し、満足感とともに来た道を戻って帰路につく。間違いなく今までで最も自然の脅威に近づいた旅だった。

余談だが、かつて蝦夷の大地を縦横無尽に歩き回っていたアイヌ民族は、文字を持たなければ地図も描かないし、道路も作らなかったという。彼らにとっては地名こそが現在地や行き先を指し示してくれる唯一の道標であり、命綱だった。ゆえに、アイヌ語由来の地名はもれなく土地柄を正確に表したものとなる。

そんなアイヌたちの神恵内に対する呼称は「カモイ・ナイ=魔神の沢」。込められたのは、「険しく、人が近づきがたい場所」という戒めであった。本来この土地に人間のための道を敷くことなど許されないのかもしれない。波に穿たれるトンネルの惨状を見て、ふとそんなことを思った。