「すはじかみ」と読む。毎年都に上ってくる酢売りと、同じく毎年上ってくる薑(山椒)売りが言い合いをし、やがて秀句(洒落)比べになって最後には仲良くなるという狂言の題目だ。

東京へ旅行した際、10月の能楽の定例公演のチケットが運良く(残席1だった)取れて、何も知識を携えないままに能楽堂へ行った。能楽というのは能と狂言をあわせたもののことをいうが、私は無知だったので狂言というものがどういう代物なのかも理解しかねるまままに観劇した。しかしその狂言が本当に面白く、発散せずにはいられなかったので、大まかな流れを補足とともに以下に綴ろうと思う。

中世の都の商場。津の国からきた薑売りが、同じ市で商いをしようと堺からやってきた酢売りに対し、私の先祖は宮中から「商人司(あきうどつかさ)」という称号を頂戴しているから、「身共(私)へ断りなしに売ることはならぬ」と嫌がらせをするところから話が始まる。酢売りは自分の先祖も商人司だと言い返し、お互い系図を自慢し合う。

薑「からく天皇の御時に…(中略) 唐(から)橋を打渡り、から門に入り、唐(から)竹椽に畏まる、その時唐(から)紙障子をからりとあけ…」

酢「推(い)古天皇の御時に…(中略) 簀()の子橋を打渡り、簀()の子の椽にかこまる。其時御簾の内よりも、き御酢()を下さるる…」

と、それぞれに自身が由緒ある家系出身であることを商売物によそえて述べる。ここで両者とも天皇から称号を賜っていては勝負がつかないので、秀句をもって競うことにしようと薑売りが提案すると、秀句が得意な酢売りはほくそ笑んでこの提案に乗るというながれだ。

ここから二人であちこちを巡っては駄洒落合戦になるのだが、ここでも薑売りが「から」を掛ければ酢売りは「す」で返す。まずは「身共から参ろう」「この通りをまっぐ行こう」と初手から相手の秀句に大笑い。大笑いといっても、我々現代人のような笑い方ではなく、あ〜っ、はっ、はっ、はっ、と、大袈裟にゆったりとといった感じのそれだ。

遠くの木を眺めて「あれは唐(から)松そうな」「そばに杉(ぎ)の木もある」「唐(から)草ではないか」「いかずらでおりゃる」、店の前に立って「唐(から)物店に着いた」「数寄(き)屋道具もある」、五条の橋から川を渡る人を見下ろして「からげて渡る」「裾(そ)を濡らすまいためであろう」等と、場所を変えながら延々と秀句が続き、二つ三つ秀句を言い合っては、相手の秀句に感心して二人で大笑い。

古語なのに何を言っているのかを掴めるのは役者の演技力の賜物なのだろうか。二人で散歩と秀句を楽しんでいる様子がありありと伝わってきて観客席にも温かい空気が漂っていた。私はもとより言葉遊びが好きだから、お互いが絶えず”す”と”から”に掛け続けて会話をする様はその極致とも見えて、話の純粋な面白さと日本語の奥深さへの感動とで涙が出てしまった。

最後は二人ともすっかり意気投合して、両人は、昔から”酢薑”といって酢と薑は一緒にあると良いものなので、両人して売物の司を持つのが良いだろうと話し合う。そして明日から相商いにしようということになり、最後に一句と言って酢売りが「たで湯とて、何とてからくなかるらん」薑売りが「梅水とてもくもあらばや」と、それぞれの”から”と”す”を取り換えて歌を分けあい、笑い留。晴れやかな、楽しい演目だった。

しかし、思い返してみても終曲した後の狂言師の様子といったら奇妙だった。つい今までそこにいた陽気な薑売りと酢売りの姿は終曲とともにすっと消え失せ、その表情からすべての人格を消して静かに能舞台から去って行ったのだ。更に奇妙なことに、私は、その姿に日本の侘び寂び、日本的な美の一端を見た気がしたのだった。

なんにせよ、この20分の演目が日本の文化や伝統芸能への感慨と敬意を呼び起こしたのは言うまでもない。どうにか機会を作ってまた観劇したい。

追:興奮冷めやらぬ翌日、歌舞伎を観に行った。こちらも面白かったので、また別の稿で書こうと思う。