時に人は、最初からないことではなく、いちど得たもの、あるいは得られるはずだったものが手元から奪われることにこそ、激しい痛みや苦しみを感じるように思う

絶対的欠乏ではなく、相対的剥奪にこそ深い絶望を覚えるのだ

暗い気持ちで廃墟から出てきて、帰りのバスは1時間後である

バス停のあるホテルレースイリゾートまで、おおよそ2kmの旅路を足で行く

春の陽ざしが暖かいばかりであったが、時折頬を掠める早朝の淡い冷気を纏った風は、そういった温もりとは対照的な、厳然と紡がれる白の世界に閉ざされた北海道たる土地のいささかの悲哀を感じさせるようでもあった

今日は5月5日、路肩には雪が我が物顔で居座っている所以である

緩やかな坂を下り、志幌加別川に架かる橋の手前で幹線から逸れ、ホテルシューパロを通り過ぎる

地図上ではその後すぐにゆうばりキネマ街道という過去の名画の絵看板が点在する観光地に入るはずなのだが、私はそのエリアに入ったことに気がつかず、不意に快晴の空を見上げた折に建物の壁に掠んだガンマンの絵が描かれているのを見つけて、ここが世に聞くキネマ街道なのかと気づけたのであった

ふつう観光地に来たら寸分なりとも驚きや感動があって然るべきだと思うのだが、ここはあまりにも素寒貧としているので、ああ、ここなのか、というぐらいの感想しか持ちえなかった

行政もろとも財政破綻した街だから、という先入観がそうさせるのであろうか

地域で推している観光スポットがこれとあっては、呆れを通り越して不憫ですらある

道路脇に立てられた”ゆうばりキネマ街道”の看板の具合は、この空間の置かれている状況を、その単語が表す意味よりも端的に、そして克明に示していた

再び坂を登って街を見下ろせる小高い丘までやってきた

眼下に見渡す建物の、一体幾つに人の営みがあるのだろう

車通りもなければ、人影すらも見えない

結局バス停に辿り着くまで、人一人ともすれ違うことはなかった

バス停の周囲には、夕張線のゆうばり駅跡(手前)とホテルマウントレースイリゾート(奥)がある

この駅のホームに列車が来ることは二度とない

駅舎は観光案内所となり、駅舎内で営業していたカフェは廃線後程なくして廃業してしまった

かたや、ホテルマウントレースイの日付は2020のまま放置されている

聞くところによれば、夕張線の廃止の翌年、ここホテルマウントレースイは夕張市の所有から中国の資本に切り替わり、以来紆余曲折を経ながら営業してきたが、コロナウイルスの影響を受け2020年をもって休業状態になり、そのまま放置されているそうだ

先程の廃墟は時が止まってしまいそうな場所であったが、ここは本当に時が止まっている

ここはこの先どうなってしまうのか

一介の、一旅人が気にかけるのもおこがましいが、北国の澄んだ空気と街を覆う淀んだ雰囲気に洗われて、この土地の行く末を案じずにはいられなかった

恐らくこの土地が、初めから石炭も何も無く、開拓者から見向きもされないような山奥の秘境であったなら、このような気持ちは抱かなかっただろう

ここは本来、国の心臓として繁栄し続けるべきであった場所、斜陽の憂き目に遭うべきでなかった場所なのだ

しかし現実がそうならなかったからこそ、奪われ、棄てられたこの街に対して、特段深い絶望を覚える

それでもここまで極端に寂れているのは奥夕張のほうだけのようで、帰りのバスは活況を呈していた

現在夕張市の中心地はここ奥夕張からやや南下した場所にある清水沢であり、次第に通学の学生や買い出しの地元民が停留所ごとに乗ってきて、途中では立ち客も出るほどにまでなった

隣に座った老婆から話しかけられる

マスク越しの口から発せられるのは、昔の夕張は凄かったとか、そんな話であった

私はそれを上の空で聞いていた

普段は生きた証言に耳を傾けるのが大好きだが、この土地は繁栄と凋落のギャップが大きすぎるが故に聞いているのが辛く、ただひたすら、老婆の瞳の奥に、夕張への再訪を果たして街を歩いている自分の姿を映し出していた

清水沢から離れるにつれ乗ってくる客より降りる客の方が多くなる

あくまでこのバスは、清水沢近辺の地元民の移動をカバーするためのものという性格が強いようだ

学生の姿が消え、私の隣の席は空き、気づけばまた乗客は私一人になっていたのであった

かつて10万の人口がひしめきあい、「炭都」とまでいわれた夕張は、20年後、いや10年後、存在しているのだろうか

バス廃墟を出て以来、ずっと頭の中を掻き回すようにつきまとってきた命題に対する答えは、いずれ残酷な結果となって私の前に現れるのだろう、そんな予感がした

新夕張駅から独り、再びJRに乗る

北海道などそう気軽に来れるような場所ではないが、いつかまた、必ずや訪れようと思う

10:28、定刻通り2番ホームに特急とかちが入ってきた

行き先は帯広ではなく、札幌である