新夕張駅から特急とかち、特急北斗と乗り継いで苫小牧駅までやってきた
ふつう新千歳空港から始まる旅であれば、南千歳から石勝線を使って釧路まで一路向かうのが定石ではある
しかし道東への旅路に最短最速のルートを選択するほど私はストイックではないので、今回はあえて日高山脈の落ち込む地である襟裳岬を回って釧路を目指そうと思う
もう昼時であるから何かしら北海道のグルメでも口にしたかったが、バスへの乗り継ぎに余裕はないのでセイコーマートの惣菜で手軽に済ませる
セコマ飯も立派な北海道のグルメなのだと思えば舌鼓も打てる気がしてくるので、気持ちの問題である
“静内”の行き先表示を目印にバスへ乗り込む
苫小牧から襟裳までは鉄道ではなくバスを使うことになる
かつてはこの駅から襟裳岬の少し手前にある様似駅までをJR日高本線が結んでいたが、2015年に台風で被災し現在は終点駅が鵡川になってしまった
バスは3、4人の地元民を乗せて駅を発ち、苫小牧の市街地を抜け、勇払、厚真の製紙工場を右に見ながら東へ進む
そして苫小牧から30km程で、現在の日高本線の終点である鵡川駅のロータリーに立ち寄る
鵡川駅の所在地は、勇払郡むかわ町である
日高郡ではなく、勇払郡である
つまり、”日高”本線とは名ばかりで、現在の線路は日高の手前で終点となってしまうのだ
そんな僭称路線の代替交通とも言えるのが、今乗っている静内行のこのバスである
今日の行程は静内で終えるつもりだが、このままこのバスに乗っていたのでは夕方前に静内に着いてしまう
それでは何となく味気ないので、寄り道をしようと思う
門別を過ぎたあたりから、道路は海岸線に沿って走るようになり、旧日高本線の線路とも接近し始める
車窓に流れるのは、橋脚や地盤を失い宙に投げ出された線路であった
2015年の爆弾低気圧は地形を変えてしまうほどの高潮と暴風をもたらした
しかもそれが二度襲ったのである
さて、鵡川から1時間ほど走ったところで寄り道をする
大節婦というバス停で下車する
当然下車したのは自分一人で、降りる時には他の乗客から怪訝な視線を向けられた
バス停から歩いて道路の下をくぐり、海岸へ出ると、大狩部(おおかりべ)という駅跡がある
ここは、先の災害で特に大きな被害を受けた場所のひとつである
用済みとなった駅名標は外されており、その残骸と今にも崩れそうな駅舎とが潮風に晒され、眼前に広がる太平洋を臨んでいる
視界いっぱいに広がる穏やかな海が、7年前には暴雨雷鳴と共に荒れ狂い、線路地形諸共洗い流していったとは、俄に受け入れ難い
しかし、今や列車がこの駅に辿り着くことはなく、駅としての時間は永遠に過去に取り残されてしまっている
こんな光景を実際に目の当たりにすると、復旧など到底不可能なことだと否が応にも思い知らされる
言葉では語らぬ一廃駅は、7年前の深い傷跡と共に、自然の脅威と人間の営みの儚さとを静かに伝えていた
1時間ほど歩き回って、次発のバスが来るのでバス停に戻る
日は傾き始め、影が長くなる
30分程の乗車で静内着
廃線になって久しいというのに、日高地方のターミナル駅は、まだJRのロゴを拝していた
遂に日高までやってきた
日高といえば馬である
シンザンやハイセイコー、キタサンブラックといった誰もが一度は耳にしたであろう名馬を何頭も輩出している
町中にも、たくさんのモニュメントやのぼりがある
今夜泊まるのは”日本一豪華な朝食”で有名な静内エクリプスホテルである
朝食付きのプランにしたのでチェックイン時に朝食券を受け取るのだが、朝食券も馬券風であった
ロビーに飾られている額縁には有名なフレーズ
売店には馬のグッズが売られており、馬の街日高を多分に感じられる
明日の朝は今日ほど早くないが、せっかくならということで朝食用に日高つぶめしという駅弁をフロントで注文しておいた
部屋に入って荷物を下ろし、薄暮の静内を眺める
思い返せば、とても濃い一日であった
廃墟など初めて行ったし、廃線跡を辿るというのもしたことがなかったのでいい経験になったと思う
夜はホテルのレストランでエゾシカを焼いて食べ、充実感とともに眠りについた
明日は憧れの土地であった襟裳へ行く