人は何故消えゆくものに惹かれるのだろう

今日(22/8/13)、トドワラを一目見ようと、道東は標津にある野付半島を訪れた

“トドワラ”というのは砂嘴(サシ、陸地から海へ流れ出た砂で形成されるくちばし型の地形)上に生えているトドマツが海水を吸い上げた結果枯れ死んだもののことをいう

死んだ木々が大地に横たわり、まるでこの世の果てのような景観を作り出すのだ

出典:http://hokkaido-lovepower.net

この写真を目にした時、死ぬまでに必ずここを訪れねばならぬ、と思った

それから一年ほど経って幸いにも機会に恵まれ、遂に野付半島を訪れることができたので備忘録も兼ねて書き記す

荒涼たる大地に降り立ち、トドワラのある方向を臨む

最果ての地に来たのだと、襟をたださせるような天候である

ここからトドワラへ行くには、草花が生い茂る狭い歩道を歩かなければならないようだ

と思いきや、歩いている最中に四輪の箱が連結されたトラクターが横の道を通り過ぎて去っていった

別の道が存在することにすら気づかなかったが、こちらはトラクターバス専用のものでよく整備されているようだった

かたや歩道の方は獣道と呼んでも差し支えはないだろう、足を踏み出せば容赦なく夜露に濡れた雑草が肌を叩き、点在する水溜まりは歩調を狂わせ体力を容赦なく奪い取る

半袖と半ズボンで踏み入ったことを深く後悔するとともに、帰りは絶対にトラクターに乗ろうと決意したことであった

草と虫を払いのけながら歩くこと30分、ようやく「トドワラ」の文字が視界に入った

この写真を目にして違和感を感じた人もいるだろうが、まだ道は続いているので先に進もう

小道は木道に変わり、砂でできた湿地の上を一本、貫くように伸びている

ここはまさに地の果てと言うにふさわしく、オホーツクから吹きつける海風は漠とした自然を薙ぎ、殺意を孕んだような風景は、畏れとともにさびしさをも思い起こさせる

木道をつたい、終点に辿り着いた

そこで見たものは、おおよそ私が想像していたような厳然と広がる風景ではなかった

立ち枯れたトドマツが十何本かその姿を留めるだけで、地に伏す木もなければ株がそこらじゅうにあるわけでもない

そう、”トドワラ”は現在進行形で失われつつある風景なのだ

海水を吸って枯れ死んだ木々は腐り、やがて海に流され消失し、年々その数を減らしている

その流れはとても速く、最初に掲示したトドワラの写真が撮影されたのは2014年頃、それがものの数年でこの有様である

かつてトドマツが生い茂った半島の植生自体も既に変化し始めており、いずれは湿地植物が台頭し湿原と化すといわれている

自然の摂理には抗えない

我々にその流れを変える権利はない

しかし、観測することはできる

数年後、完全にトドワラがなくなってしまっても、”ああ一目見ておけばよかった”と後悔することがないようここを訪れておくことは、観測者たる我々に委ねられた権利である

我々は今を生きている

未来から見た過去である今、失われゆく過程の一部分を観測できることは、とても幸運なことではないか?

私がトドワラを目にした時の感想は、あえてここでは述べない

ぜひ、自身の目、自身の感性でこの風景を賞美してほしい

このブログを書いている今も、トドワラは静かに、自然の流れに身を委ねて佇んでいるはずだ

なお、帰りは無事トラクターバスに乗って帰れたことを追記しておく