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踵を返して廊下へ繰り出し、もはや小慣れてしまった恐怖を共にして来た道を辿る

幼い日の夜、一人で寝室から出る時の心地に似るものがあった

ちなみに、今いる3階からは丸屋根アーチが特徴的だった体育館へ続く渡り廊下が伸びている

“だった”というのは、除雪もされない廃墟であるため屋根が雪の重さに耐えきれず潰れてしまったからだ

衛星写真でもはっきり分かるほど派手に倒壊しており、中は当然立ち入れるような状態ではない

もっとも母は宿泊中に体育館へは入らなかったそうであるから見送る

行きと同じ階段へ向かい、2階へと降りる

2階の廊下では、暗澹と横たわる大気と、それを射抜く旭とのコントラストに沈んだ残骸が、地に濃い影を落としている

鏡も砕け散った洗面台に、少しばかりの母の面影を見た気がした

思いがけず廊下へ出て周辺を物色してみる

覗いた部屋はどこも苔やカビに侵され、また地表に近いためシカも気軽に入ってくるのか、フンが至る所に転がっている

何の気なしに荒んだ空間を眺めるのだが、ランドセルを入れる棚や黒板の残る”教室”に畳を敷き詰めて布団を広げ、”宿泊部屋”としていたのだと思うと、奇天烈な趣を擁しているようで面白い

そこに寝泊まりした人がいたのなら尚更だ

再び同じ階段で1階まで降り無事に正面玄関付近まで戻ってこれたのだが、この時の私がどういう心情だったのかというと、「このまま出ていってしまうのは味気ない」であった

往路、あんなにも焦がれていた出口を前にして、”まだここに残っていたい”と思ったのだ

異様な空間に慣らされて意識が狂ってきていたのだろうが、時計の針も止まってしまいそうな廃墟で、自分だけが時を遡行している感覚があった

このまま帰ってしまっては、寝床について、「ああ今日は結局ピアノと少しばかりの空間しか見なかったなあ」と少し寂しく思い、時間を有為に過ごせなかった後悔が、取り戻せない過去となって今日の端に滲んでしまう

傾いてしまった玄関を傍目に奥(校舎右側)へ続く廊下を臨む

正面玄関のロビーこそ宿という感じの雰囲気を纏っているが、廊下は依然学校それそのものであり、階段を駆け降りてきた小学生たちが廊下に立つ私のほうへ走り来るのではないかという錯覚さえも催した

奥へ奥へと足を進める

思えば、恐怖はいつの間にか消え去っていた

ガリ、ガリ、という怨嗟のような足音がかえって雲隠れしていた意欲を呼び戻し、趣味の悪い好奇心をも育んでいく

最初に現れたのは、豪華、という形容詞からは程遠い、じめじめとした瘴気を纏ったような、不自然な広がり方をした空間であった

割れたガラスのすきまから春の朗らかな風が吹き込み、レース状のカーテンを撫でている

ここは紛れもなく食事会場であった

在りし過去、宿泊者たちが、100人も収容できぬこの会場で”御一行様”の札を掲げたテーブルを囲み、乾杯を交わした日もあっただろう

しかしそんな過去は打ち捨てられ、今や在らしめられるがままとなった残酷な現実は、壁に囲まれた瓦礫の世界の何たるかを見る者に問いかける

階段を上ると、人に荒らされたか、はたまた熊に荒らされたのか、頭部が欠損したトドの剥製の姿があった

この場所にトドの剥製があることは知っていたので特段の驚きはなかったが、実際にこの冒涜的な風貌を前にしてみるといっそう不気味に感じるものだ

仮に完全な状態だったとしても、泊まる宿にこんなものが置かれてあったのでは堪らない

トドを間近に見たところで、一息ついてそのまま帰ろうかとも思ったけれど、近視眼的な欲に囚われた私は、余勢に任せて未踏の空間である1階の左側奥へ向かって歩き出していた

初めこそ誰か、心の支えになってくれる同行者を探していたが今では一人でいることが晴れがましい

自分の欲望に付き合いきれるのは自分しかいないのだから

しかし、進むほどになぜか寂しくなってきた

それは、やはり一人でいるせいか、はたまたこの荒廃しきった光景に見慣れてしまったからなのか

どちらも違った

認めてしまったのだ

確かに私は過去を追憶することに悦びを感じていた

それは学校のもの、宿のもの、母のものと様々である

しかしいくら咀嚼するとしても、それは無限に希釈された葡萄酒のようなもので、五感で感じることは出来ないし、味わいも本来のそれとは全く異なる

亡骸をさらす虫の姿が生きていた頃のそれと同じでないように、廃墟という”死んだ建物”は私が想っている過去の姿そのものを見せてはくれない

私はその真髄に及ばず、闇雲に歩き回っては、暗がりに存在しない幻想を映し出していたにすぎなかったのである

“死んだ建物”に棲んだはずの私は、今やそこにいたいとは思えず暗い気分で足早に外へ出た

心地良さはもうなかった

しかし、私が去った後も、この奥夕張の残骸は遠い記憶を静かに留め続けるのだとおもうと、ことさらに悲しい

鉄道も炭鉱も捨てられた街にあって、自分をも捨てて去っていく人々の背中を見送ったこの建物の哀愁といったらない

最後の最後に濾されて染み出した、同情じみた想いを胸に仕舞い、2kmほど離れたレースイリゾートへ向かって歩き出す

けだるいような朝の9時であった

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