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憂鬱を慮ることを知らないアラームがやかましく騒ぎ私を夢から現実へ引き戻す

目を覚ますと、これまた憂鬱とは程遠い快晴のひざしが、屋根の窓を通して仰向けの私の顔に照りつけている

空は晴れていても気分は晴れず、おもむろに起き上がり厚手のパーカーに袖を通して身支度を始める

宿泊料金の精算を済ませ宿を出ようとすると、スタッフの方が「近場まででよければ送迎致しますよ」と声をかけてくれた

当初の予定では宿から30分ほど歩いて最寄りの沼ノ沢停留所まで向かうつもりでいたが、待合椅子のある新夕張駅まで送迎してくれるということでそれに甘んじる

足の疲労を抑えられてよかったが、歩いて行く前提で宿を出る時間を設定していたため、早く着いたぶん時間を持て余すことになる

50分もの待ち時間の間、新夕張駅の待合所に飾られている旧夕張支線の写真集を眺めた

夕張支線がまだ夕張(本)線だった頃の写真もあり興味深く拝見していると、随分とカラフルなバスがロータリーに入ってきた

2019年、旧夕張支線を廃止するにあたりJR北海道は多額の補助金を出し、鉄道に変わる新たな交通の手段としてここ新夕張駅から夕張市石炭博物館(初代の夕張駅があった場所)までのバス路線を整備させた

製造されて間もないバスは車体に光を受け輝き、寂れてしまった鉄道に代わって夕張の未来を明るく照らそうとしているように見えた

しかしそんな未来への使者たるバスも、今の私にとっては黄泉からの遣いそのものだ

死地に赴くような心境でバスに乗り、夕張神社停留所を目指す

定刻通り発車したバスは旧夕張支線のルートに忠実に沿いながら、次第に山峡へと入っていく

“公営”や “会館”と名のついた停留所が多く、国の寵愛を受けて繁栄し活気づいていた夕張華やかなりし頃を偲ばせる

廃団地と思しき建造物も数多く目にした

ここまで観光客はおろか地元民すらも乗っていなかったバスだが、清水沢でやっと旅行者らしき人が1名乗車してきた

もしかするとこの人は廃墟マニアか何かで、一緒に夕張神社まで乗ってはいないだろうかと淡い期待を抱くも旧夕張支線の終点であるゆうばり駅、もといレースイリゾート前停留所で降りていってしまった

こんな早朝にどこを観光するのだろうか

乗客は再び自分1人

無機質な自動音声とバスのエンジン音だけが車内に鳴り響く

いっそ夕張神社の手前で降りてしまってキネマ街道でも散策していたかったが、背に腹はかえられない

結局夕張神社停留所まで乗り通し、藁にもすがる思いで夕張神社に参拝

黒猫がどこからともなく現れ、階段を登って道案内をしてくれた

立派な造りの境内だ

北海道の神社といえば、区分けされていない平地に小さな鳥居と掘っ建て小屋のような拝殿があるのみ…という簡素なイメージが強かったので、ここまで壮麗なものを目にするのは新鮮だった

これも繁栄の名残だろうか

手水舎に水はなく、拝殿の扉も閉まっている

低頭し扉を開け、霊や怪我から遠い(10)縁(円)と掛けて10円玉を賽銭とし、五体満足で帰ることだけを願った

参拝を済ませ、隣にある目当ての廃墟まで重い足取りで歩く

神社から100m程の距離にあるその廃墟は境内の神妙な雰囲気とはかけ離れていた

ここで、なぜ廃墟マニアでもない私が恐々としつつもここを訪れることになったのか説明せねばなるまい

無惨な見た目のこの建物は炭都夕張の夕張第二小学校として建てられ、往時は生徒数2800人越えという日本一のマンモス校だった

しかし相次ぐ廃坑や閉山に伴う人口流出で生徒数はみるみる減少、他の小学校と統合されることになり、”暗いイメージの夕張に旭がのぼるように”という願いを込めて旭小学校と改名し再び開校したが、その太陽も僅か8年という短さで沈み1983年に閉校

その後、宿泊・研修施設ファミリースクールふれあいとして再活用されるも、炭都凋落の象徴たる夕張市財政破綻の前年に閉業し、今や風化を待つのみの廃墟に成り果ててしまったのだ

その程度の歴史であれば日本全国至る所で聞かれそうなものなので頭の片隅にしまい込んで終わりだが、他でもないその研修施設にかつて母が修学旅行で来ていたという歴史が加わると―例えるなら赤紙を渡された男が出征を拒むことができないのと同じように―訪れないという選択肢はなくなる

私は夕張の情報を集める過程で偶然ここを見つけたのだが、先人達のルポを見ていると、小学校にあるものとは思えない広さの丸屋根の体育館や何故か廊下に放置されているトドの剥製など、他の廃墟とは一線を画す魅力を有してあるように思えてならず、訪問意欲をかきたてられた

そこに母の宿泊歴とは何の因果だろうか

話を戻そう

遠巻きに校舎を見渡すが、昨年の雪で潰れてしまった体育館以外は(訪れないでいい理由を渇望している今の私にとっては不幸極まりないが)無事なようだった

いよいよ腹を括り、校舎の中へ足を踏み入れる

正面玄関は見るも無惨、鴨居はひしゃげ垂れ下がり、ガラス張りのドアは地面に突っ伏し鹿でも熊でも招かれざる客でも出入り自由といった有様

酷い荒廃ぶりだ

雨漏りの小気味よいリズムが校舎内に木霊している

訪問を決めた当初は校舎全体を探検してやろうと張り切ったが、人生で初めて体験する異様な空間を前にしてそのような意欲は雲隠れ

少ない情報源を血眼で漁って建物内の間取りはあらかた把握していたので、とりあえず3階にあるという朽ちたピアノだけを見て脱出することにした

最短経路で向かうべく無人の受付を素通りし中央階段へ

元小学校の面影を感じさせる低い蹴上げの階段を足早に一段飛ばしで上る

一歩踏み出すたびに、後悔の念と今この建物には自分一人しかいないのだという自覚が恐れとともに膨張する

ここは音楽でも流して少しでも気を紛らわそうと思案しアプリを開いたが、先程まで繋がっていた電波が何故かこの建物の中だけ途切れ、不気味さを帯びた圏外の文字が表示された

3階に到達し廊下に出て右を見やると、突き当たりの壁に、いかにも昭和といったような字体の無愛想な案内板が張り出されていた

こんな不気味な恐怖は味わったことがない

“正面玄関に戻りたい”と本能が強く主張するが、理性で無理矢理抑え込み、足を進める

体育館と逆方向に歩き、ガラスが割られた奥のドアを通り直進

左手の3番目の部屋の中にあるはずだ

あと少しだ、と決死の思いで様々な物が散乱する廊下を慎重に歩いていくと、不意にそれは現れた

あまりにも自然に佇んでいるので、呆気に取られてしばし立ち止まってしまった

我に返ってドアすらもない入口から部屋に入って近づいてみる

室内を見渡せば辛うじてここが視聴覚室だったのだろうと予想できるが、防音壁や天井板は剥がれ落ちて造りがあらわになっており、床の方は苔むして独特のカビの臭いもたちこめている

この下の階の天井も落ちているのか若干たわむ箇所が少なからずあり、いつ床が抜けてもおかしくない状態だ

恐らくアスベストもあるだろう

長居はできない

それにしても画になるピアノだ

今や弾き手はおらず、人知れず静寂を奏でるのみ

日常ではまず目にすることのない異質なそれは、混沌とした感動と共に私の目を強烈に惹きつけた

早く立ち去るべきなのは分かっていても、何度夢でうなされたか分からない道のりを最後まで辿ってこれた喜びと、朽ちゆく歴史物を一人観測する悦びとに囚われ、気づけば5分、10分と見入ってしまっていた

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